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大阪府医師会フォトギャラリー
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大阪府医師会フォトギャラリー
フォトギャラリーでは、会員のみなさまの作品を紹介しています。
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四季折々の美しい風景や名所など、投稿をお待ちしております。
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撮影者:出口浩之(堺市医師会)
撮影場所:長野県木曽郡植松町桟付近
撮影日時:2025年5月3日
桟とは険しい崖に橋を架け開いたわずかな通路を言う。中山道有数の難所であった当地には丸太と板をくみ、藤の蔓、等でゆわえてわずかな幅の木の通路を開いた。正保4(1647)年、通行人の松明で焼失した後、尾張藩は翌年に長さ五十六間の橋の中央部分の八間(14.5m)に木橋を支える石積みを完成させた(写真中央下部、道路下の石垣)。寛保元(1741)年と明治13(1880)年の改修、のちの国道の建設を経てもなお往時の姿がほぼ完全な遺構として残されている。整然と積まれた白い石、赤い橋、緑の山、そして風化・浸食により創られた丸みのある灰白の岩と清流、深山の渓谷の絶景である。
撮影者:出口浩之(堺市医師会)
撮影場所:奈良県香芝市穴虫付近
撮影日時:2025年5月21日
1,500~2,000万年前の二上山の火山活動によって火砕流や火山灰が堆積し、その後の地殻変動によって隆起し、長い年月の間、凝灰岩が浸食されて形成された奇岩群である。樹木が茂る山上と直下の灰白色の断崖は遠くから見ると松林に鶴の群れが屯(たむ)ろしているように見えることから屯鶴峯(どんづるぼう)と命名された。地下には第二次世界大戦中に作られた大規模な地下壕が残っている。地質学上貴重な存在として奈良県の天然記念物に指定されている。金剛生駒紀泉国定公園の見どころの一つである。
撮影者:出口浩之(堺市医師会)
撮影場所:兵庫県洲本市安乎町平安浦25
撮影日時:2025年5月26日
小さな洞窟の奥の小さな祠にお参りして振り向けば岩壁の向こうに鳥居と道路、そして大阪湾が見える。なんとも不思議な景色である。永らく廃跡になっていたが、この神社には龍が神様の命を受けて外出中に神様は他の神社に祀られ、離ればなれになったが、いつか神様が戻ってくると信じて社を守っていたという伝説がある。人間の根源とも言うべき「信なくば立たず」、誠実な龍を信頼の象徴として2021年に再興されたものである。岩に仕切られた空間が淡路島の形に見えると言われている龍神のパワースポットである。
撮影者:出口浩之(堺市医師会)
撮影場所:奈良県山辺郡山添村大塩付近
撮影日時:2025年5月21日
神野山の山腹の沢筋に長さ約650m、幅平均25mにわたって大小無数の黒い巨岩怪石がるいるいと連なっている、鍋倉渓である。真っ黒な川の流れのような景観は迫力がある。この渓谷を流れ下る水は岩石群の下を深く伏流し岩の間からは、その姿は見えないが水音は間違いなく聞こえてくる。大和高原地帯は花崗岩質で形成されているが、ここ神野山は角閃半糲岩という深成岩でできており、これは岩質が非常に堅いために浸蝕にたえてこのような山容が形成されたものである(県立月ケ瀬神野山自然公園に指定されている)。
撮影者:出口浩之(堺市医師会)
撮影場所:奈良県奈良市柳生町 天乃石立神社付近
撮影日時:2025年4月6日
石の鳥居がある天乃石立(あまのいわたて)神社は一刀石で有名な神社だが、その知名度とはあまりにもかけ離れた寂しい場所、うっそうとした森の中にある。一帯は柳生一族の修練場と言われ、巨石が多い。そして神代からの巨石信仰の文化の象徴とも思える場所である。鳥居から順に神々を祀る立磐(前立磐、後立磐)、前伏磐、社の巨岩が鎮座している。
①左:櫛磐門戸命を祀る前立磐(幅7.3m、高さ6m、厚さ1.2m)、右:豊磐門戸命を祀る後立磐(幅7m、高さ6m、厚さ1m)
②手前:天磐門別命を祀る前伏磐(幅7m、厚さ1m)
③天照大御神を祀る社の巨岩