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大阪府医師会フォトギャラリー

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大阪府医師会フォトギャラリー
フォトギャラリーでは、会員のみなさまの作品を紹介しています。
スマートフォンで撮影されたお写真でも結構です。
四季折々の美しい風景や名所など、投稿をお待ちしております。
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撮影者:出口浩之(堺市医師会)
撮影場所:長崎県島原市南千本木町 平成新山展望園地付近
撮影日時:2013年10月13日
島原半島の中央部、雲仙火山の主峰、普賢岳は寛政4(1792)年の大噴火より198年ぶりに平成2(1990)年11月17日、水蒸気爆発を起こし、ほどなく13個の溶岩ドームを次々と形成した。溶岩ドームは次第に巨大化し、ついに翌、3年6月3日、溶岩ドームの崩落とともに大火砕流を発生し、多くの犠牲者を出した。7年5月25日、足かけ5年にわたる火山活動の終息を宣言した。従来の普賢岳を上回る標高1,486mの溶岩ドームは平成の噴火ならびに火砕流の記憶と鎮魂を末永く伝えるべく8年5月20日、平成新山と名付けられた(2021年、雲仙天草国立公園特別保護地に指定)。
撮影者:出口浩之(堺市医師会)
撮影場所:兵庫県赤穂市御崎 赤穂御崎付近
撮影日時:2026年1月31日
柱状節理の岩石海岸が続く赤穂御崎の突端の畳岩(①)は干潮時には浜と陸続きになる。この背後から瀬戸内海を見おろす伊和都比売(いわつひめ)神社は航海安全と大漁を祈願し、また古くから若い男女の姫神信仰の場所でもあることから赤穂御崎は恋人岬とも言われている。また、ここは元禄15年6月、討ち入りを前に京・山科で過ごした大石内藏助が赤穂を離れた故郷への惜別の地でもある(②)。振り向けば陽光を浴び、その始まりと終わりに幾何学模様が施された階段がある神社に続く坂道は「きらきら坂」と呼ばれ(③)、一帯は赤穂御崎の観光スポットとなっている。
撮影者:出口浩之(堺市医師会)
撮影場所:兵庫県たつの市新宮町觜崎付近
撮影日時:2026年1月10日
新宮町觜崎(はしさき)の揖保川左岸の岩山の崖面に彫られた5体の石仏である。銘文によれば文和3(1354)年10月に藤原某(解読不能)の何回忌かにあたって彫られたものと考えられる(①③)。岩壁の中ほど、地上約7mの場所のほぼ等身大で、胸に知恵の文殊を抱き右手に錫杖を持った地蔵菩薩は約670年を経た今も深い慈悲のまなざしで私達を見守ってくれている。やや上流側の4体(②④)は小さく、風化が進んでいる。これらはすぐ下流の美作道、因幡道への難所、揖保川の渡しである「寝釈迦の渡し」を往来する人々の信仰を集めていたものと思われる。
撮影者:出口浩之(堺市医師会)
撮影場所:兵庫県赤穂市高野 高取峠付近
撮影日時:2026年1月24日
時は元禄14(1701)年3月19日早暁、寅の刻二つ時(午前4時ごろ)、ここ高取峠を二挺の早駕籠(はやかご)が赤穂城を目指して突っ走っていった。去る14日、江戸城・松の廊下で突発した赤穂城主浅野内匠頭の殿中刃傷と即日切腹、赤穂藩改易の報を使者・早見藤左ヱ門と萱野三平は江戸から155里(600km)を昼夜兼行4日半で駆け、家老大石内蔵助に事の顛末を知らせ、使命を果たした。翌、元禄15年12月14日、吉良邸討ち入り、翌16年2月4日、浪士全員切腹までの苦難の日々を運命づけるかのように背後の険しい岩崖は荒涼、殺伐とした情景を醸し、寒風の中に峻立している(平成3年3月、兵庫県竣工)。
撮影者:出口浩之(堺市医師会)
撮影場所:大分県中津市本耶馬渓町曽木付近
撮影日時:2021年9月24日
①洞門の一部、②山国川と絶壁連なる耶馬渓
第3代中津藩主、小笠原長胤(ながたね)の時代(1683年~)にこの下流に荒瀬井堰が作られて山国川の水位が上がり、川岸の岩壁に打ち付けた鉄の鎖を命綱に、文字通り命がけの通行でも人馬の落命が相次いだ。これに心を痛めた禅海和尚は享保20(1735)年からノミと槌だけで岩壁を掘り始めた。明和元(1764)年、全長342m(トンネル部分144m)の洞門を完成させた。さらに明治39年から40年にかけての大改修を経て今日も地域の重要な道路として使用されている(1950年7月29日、耶馬日田英彦山国定公園に指定)。