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新しい物語

府医ニュース

2021年4月28日 第2962号

 「全世界が、ある、恐ろしい、見たことも聞いたこともない疫病の生贄となる運命にあった。疫病は、アジアの奥地からヨーロッパへ広がっていった。(中略)出現したのは新しい寄生虫の一種で、人体にとりつく顕微鏡レベルの微生物だった」。
 新型コロナのことではありません。ドストエフスキーの「罪と罰」の終盤に登場する描写です。殺人の罪を犯し、シベリア流刑となった主人公ラスコーリニコフが、流刑地で熱病にかかって寝込んでいた時に見た悪夢です。
 この疫病の症状は、「自分はきわめて賢く、自分の信念はぜったいに正しいと思い込む」ことです。人々はお互いに理解しあえなくなり、何が悪で何が善か区別できず、憎み合い、傷つけ合います。どこか、コロナ禍がもたらした社会の混乱や分断にも通じているように思えます。「罪と罰」は19世紀の半ばに書かれましたが、ドストエフスキーには未来を予見する力があったかのようです。
 この悪夢では、少数の人達を残して、人間は滅びさります。しかし、この悪夢を見たラスコーリニコフ自身は、病から回復すると、生まれ変わったかのように更生の道を歩んでいくであろうことが示唆されてこの物語は終わります。ある暖かく晴れた春の日、作業に復帰した彼の前には「あふれんばかりの陽を浴びたはてしない草原」が広がっていました。
 ラスコーリニコフが少しずつ更生していく物語は、別の「新しい物語」であると記されています。ポストコロナに世界がより良く再生していく「新しい物語」が始まることを期待したいと思います。(瞳)
(引用 亀山邦夫訳「罪と罰」光文社古典新訳文庫)