
TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ
TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ
府医ニュース
2025年8月6日 第3116号
先日、病院のメディカルソーシャルワーカーから意見を聞く機会があった。彼曰く、90代高齢者の入院後、治療が終わったので退院について子どもさんと話し合いの場が持たれた。その時、子どもさんは治療が終了しても家に帰るのは不安である。このまま病院で見ていただけないのか? と聞かれたとのこと。病院での治療の必要性がなく、看取りのための入院継続はできない。自宅に帰れないのであれば施設など次に行く場所を決めなければならないと説明したが、子どもさんは自分が決めるのは責任が重くて決められないと言う。このような人が増えているとのことだった。
今、人生会議が推奨されメディアでも取り上げられているがまだまだ浸透されていないのが現状である。高齢の親を持つ子どもが親の最期のことを考えることができない現状がある。親の方も今まで子どもに、もしもの時のことや将来の希望を伝えていない。自分がどこでどんな医療を受け、どこでどんな風に死にたいかなどイメージができないが故、家族間での話し合いが持たれていない。いざADLが低下し、看取りに近い状態になったとしても具体的には何も決まっていないから子どもさんも考えられないのだろう。
医療従事者はACPが必要だと考えているがその普及は甚だ遅れている。これまでの医療制度は多くの方が入院し、最期は病院で死んでいった。これが日本の医療制度だった。しかし、少子高齢化の波が押し寄せ持続可能な医療制度を考える時、今までのように多くの高齢者が病院で死ぬことは難しくなった。2040年問題と言われる課題は大きい。このことは全国民が認識すべきことだと思う。親の最期の看取りをどこで迎えるかを決められないとは本当に情けない話ではないかとつくづく思う。本来死は生活の延長線上にあり、生きることと死ぬことは特別なことではなく当たり前に人生の終着点と考えるべきことなのではないか。死ぬことを医療にゆだねること自体が不自然でないかと思う。