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府医ニュース
2025年5月7日 第3107号
「命に課税する国」。そんな言葉が現実味を帯びている。〝皆保険〟の理念に支えられた日本の医療と社会保障は、いまや逆進的な税制度を財源とされ、持続可能性を揺さぶられている。国家財政の構造的変化の果てに、私達はどこへ向かうのか──。
明治初期、日本の一般会計歳出、つまり財政規模は約2千万円にすぎなかった。それが現在では約110兆円。500万倍以上という驚異的な拡大を遂げた。経済成長、国債発行、マネーの供給拡大など、財政を支えてきた要因は多いが、見逃せないのは経済構造の大きな変化だ。
かつて日本は農業や工業を基盤とする第一次・第二次産業が中心だったが、現在では情報、金融、サービス産業が経済の約7割を占めている。物を伴わない価値の取引が拡大し、取引量と単価が上昇。国家の財政規模は質的にも拡大してきた。取引数が増えると流通貨幣がより必要となる理屈だ。これが景気の波を作る原動力のひとつである。
バブル末期の1990年代初頭、財政規模は現在の半分である約60兆円であった。しかし、情報流通や商取引は飛躍的に増加したものの、労働者の賃金上昇は依然として財政規模に比例していない。経済成長と分配のバランスが崩れている。
消費税は事業者に課されるが、最終的には消費者にその負担が強いられる。特に低所得層には重くのしかかる逆進的な税であり、生活必需品への支出割合が高い低所得層ほど負担感が大きい。将来の税収減少を口実に医療費削減が進めば、医療の質の低下は避けられない。すでに〝社会保障を維持するには増税が必要だ〟という論理も定着しつつある。
医療は「自己責任」か「公助」か──。社会保障を公助としての税に頼る体制には、すでに限界が見えている。しかし「自助」の徹底では間違いなく社会が不安定化する。本来の「相互扶助」の理念に立ち返り、財政民主主義に基づく公助、つまり国費による共助の保守こそが必要な選択肢ではないか。「命をどう扱うか」という問いに、今、私達がどう応えるか。それこそが、未来社会のありようを決める。(真)