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義を見てせざるは

府医ニュース

2023年9月20日 第3048号

 「統一教会二世問題」そして「ジャニーズ男児性虐待」、いずれも実に半世紀以上前から日本社会の中に存在し、本来なら庇護されるべき「弱い立場の者」に対して、最悪、その人生を破壊するような多くの深刻な害悪を与え続けてきた事実が、此処に至って急激にクローズアップされてきた。その内容を知ってみれば、「なぜ、今の今まで表面化しなかったのか?」という困惑を覚えた方が多かったと思う。いずれも過去に国会においても問題提起されたにもかかわらず、社会問題となり得ず、打開策がとられないまま、放置されていた。今は専ら、報道機関の報道倫理が問題視されている。
 小筆はバブル期以降、微細な不正や理不尽に対する「奇妙な寛容さ」が、当事者であるなしにかかわらず、異議を唱えるのに要するエネルギーや時間を考えれば、情状酌量し、過小評価して捨象した方が得策、あるいは成熟した対応と見做すような、つまりコスト・パフォーマンスを優先する感覚が社会にまん延し、長年にわたる、その膨大な集積が結果的に、これだけの大罪を実在させる温床となったのではないかと感じている。「理不尽」に遭遇した時、異議を唱えることになぜ、躊躇うのか? その怒りはマネージすべきものなのか?
 閑話休題、「孤闘」は、テレビ朝日社員・元アナウンサー西脇亨輔氏の4年近い三浦瑠麗氏との裁判記録である。SNSで唐突に暴露された自身のプライバシー、それに苦しみ続けながらも、「表現の自由といえども、他人のプライバシー侵害を行う自由はない」という事実を確認する作業であった。提訴に至るまで、そして裁判中も、困難に屈して「諦めよう」と幾度も心が揺らいだそうだ。しかし、この裁判は「自身の存在証明」だと最高裁まで争った。
 得られたのは勝訴の判決と約36万円の賠償金と、「コスパ的には全く割の合わない」顛末だ。しかし、このような愚直ともいえる行動こそが、健全な社会の成立には不可欠ではないのか? ニュースを見る度に思わざるを得ない。(猫)