
TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ
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新春随想
府医ニュース
2023年1月18日 第3024号
本紙恒例の郡市区等医師会長による「新春随想」。医療界に限らず、幅広いテーマでご執筆をお願いし、11人の先生から玉稿をいただきました。(順不同/敬称略)
新年明けましておめでとうございます。傘寿を迎えた頃から〝老いる意味〟を瞑想することが多くなりました。親しかった友人の死、親族、知人の訃報、職業がら患者の死を看取ることも多いためでしょうか。いや、死を身近に感じる年齢になったのかもしれません。
「諸行無常」という教えは、人生の儚さとか、もののあわれとか、わびだの、さびだのではなしに、老いを含めた物事の変化に耐える勇気を教えたものでしょうか。人間は誰しもがそれぞれの述懐を抱きながら老いて、死んでいく。そして、それぞれの懐古は孤独で、誰にも伝わるものではありません。老いるということは、すなわち死に向かって近付いているということだし、どんなに偉い人でも、どんなにお金持ちの人でも、私の見守る前で年を取っていき、亡くなっていきました。今まで仰ぐように大きな存在に見え、魅力に満ちていた人達も年老いていき、その魅力を失い、あるいは年齢に沿った円熟さを見せ、新しい魅力を備えていくのを見つめながら、人間は運命に逆らうことはできないものであります。
人は、突然病み、あるいは思いがけなくも惚けてきたり、今日とも知れず明日とも知れないのが、私達の命であります。生と死の間で生きている人もいます。今は、今自分の身に何が起こっても受け止めなければならないと思っています。老いの孤独に耐え、肉体の衰えや病の苦痛に耐え、死にたくてもなかなか死なせてくれない現代医学にも耐え、人に迷惑をかけていることの情けなさ、申し訳なさにも耐え、そのすべてを恨まず悲しまず受け入れる心構えを作っておかなければなりません。いかに上手に枯れて、ありのままの運命を受け入れるのか。楽しい老後を追求している暇は私にはありません。生きるのも大変だが、死ぬのも大変。死ぬ時がくれば人は死ぬ。老いを恐れず、残された日々を自然体でいること。良いことも悪いこともすべて過去の出来事であります。晩節を汚さぬよう残された人生を全うしたいものであります。
人知れず時間が経過し、新春随想などを依頼される立場になり、感慨深いものがあります。せっかくの機会ですから、少しでも、皆様に役立つお話ができればと考えます。今回は、タイトルにあるように、「間」について考えます。
「間」とは、昔から芸事において、音と音、動作と動作の間に入れる休止を差します。「間」が十分に取れないと、「間抜け」と言われ、あまり、芸事としてはよろしくなく、気が付かない、馬鹿げたなどの意味になります。これに似た言葉で、「間が悪い」などもあります。「間」は考えてみますと、日常生活の中でどこにでも、存在します。日常会話、交渉事、仕事中など、「間」が存在しないことなど、ないのではないかと思います。
医療のムンテラと言われる患者説明においても、必要事項を矢継ぎ早に説明しても、効果が十分に上がらないことはベテランの先生方はよくご存じのことと思います。ムンテラの効果を上げるためには、相手の理解度や反応を見て一呼吸置く、「間」を上手く取ることが本当に大切です。ところで、「間」は、実際の空間でなく、また「間」を目で見ることもできず、どんなものかも理解はできません。また、「間」についてのガイドラインなどもありません。しかし、「間」の取り方は、経験の中、実生活の中で自然に訓練されて、身についていくものではないでしょうか。
こうしたことから、上手な「間」は自覚をして、意識下に、その取り方を自分で訓練することが大切ではないかと考えます。怒る前に、まず3秒考えて、怒る内容を吟味すれば、パワハラ機会が減る効果もあるといわれています。これは、「間」の取り方の自覚の一例かもしれません。私自身もまだ、発展途上で、上手く「間」を取れていませんが、少し責任ある立場に立ち、「間」について考え直し、色々な行事などのクッション、潤滑油となる「間」を上手く取って軋轢を少なくできればと考えています。皆様のご参考になれば、幸甚です。
新年明けましておめでとうございます。新型コロナウイルス感染症は丸三年が経過しましたが、いまだに猛威を振るっています。我々医師会員もワクチン接種や発熱外来、入院治療とコロナに振り回される日々が続いています。
先日、関西出身女性シンガーソングライターの球場ライブを取りあげたドキュメンタリー番組を見ておりました。まだ若い方ですが、番組内で語っていたことに共感も疑問も浮かんできました。人とのコミュニケーションがあまり得意でなかった彼女ですが、シンガーソングライターになりたいという思いは小さい頃から強く抱いていたとのことです。しかし、周囲の大人や同級生達からはかなわぬ夢であると一蹴されることが多かったと語っていました。好きなことをやりたいという気持ちは変わらず、単身上京して活動を広げていったとのことです。本人の才能や努力があって現在の成功があり、素晴らしいことだと思います。ただここで一つの疑問が湧いてきます。彼女の場合才能や幸運に恵まれ、自分の目指した道を行くことができていますが、皆の夢がかなうとは限りません。むしろほとんどの人は夢を心の引き出しに収めてしまっているのかもしれません。望めばどんな仕事にでも就けるとは限らないのです。
医師会員の皆様は、医師になりたいという夢を持って医学部受験勉強をし、国家試験も受験、合格してきました。夢をかなえ勝ち組になるのでしょうか。日常業務に追われ、普段はあまり考えることもないのですが、いま一度医学部や国家試験合格時の気持ちを思い出して、医師としての活動や価値を見つめ直してみようと思います。まあ、あまり変わることはなさそうですが。
沖縄県八重山列島にある石垣島を訪れた。沖縄県内では本島、西表島に次ぐ3番目の面積(ほぼ大阪市と同じ)を持ち、人口約5万人弱、周囲は太平洋に囲まれている。石垣島と西表島の間に広がる国内最大のサンゴ礁海域の石西礁湖(せきせいしょうこ)があり、標高526㍍の於茂登(おもと)岳は沖縄県で最高峰である。亜熱帯海洋性気候で1月の平均気温18度、7月で29.5度とたいへん過ごしやすい。
関空から2時間半、南の楽園に到着した。レンタカーで島を1周(約3時間)した。空港から近くの伊原間のビーチで娘が用意してくれたジューシー(沖縄の炊き込みご飯)を頬ばる、美味しい! それから島最北端の平久保崎でエメラルドグリーンの海を堪能。その後も海岸に沿って移動し島の北西部に位置する川平湾に到着。時間帯により七色に変化するカビラブルーは目の保養になった。ドライブのBGMにはサザンオールスターズ、そして石垣出身の大スターBEGINでご機嫌な時を過ごした。
海はどこまでも透明で美しく、のんびりとビーチに寝そべり波の音に心を委ねる。爽やかな風は心を落ち着かせる。実に心地よい。波音には人間の耳に聴こえない超音波があり、ご存じの方も多いと思うが、「1/fのゆらぎ」というらしい。脳が感知するとα波が出てリラックスできる。
リラックスできる環境をググると気温20~26度、湿度50~60%、まさに11月の石垣のビーチであった。日光浴によりセロトニンが分泌され気分が高揚してメラトニンも増えて良眠できるらしい。翌日はフサキリゾートのビーチでのんびりして美味しいジェラートを味わい、ハンバーガーを頬ばってからまたビーチで寝そべる。
夕食は地元の知り合いお勧めの美味しい焼肉を楽しんで帰途についた。何の予定もない旅行でこんなに癒されるなんて思いもしなかった。還暦過ぎると無計画旅行もいいもんだ。
会員先生達へ新春を寿ぎ申し上げます。
束の間の三が日に、人混みを避けつつ大社や氏神様に初詣される先生も多いかと思われます。私は15年程前に神職資格を与えられ、実家氏神の神社に仕え4年前より宮司を務めています。参拝する側ではなく、参拝を受け入れる側であり、総代・役員からの支援協力の下、氏子・崇敬者と関わっています。そして神主の働きと医師のそれとの共通性を感じ続けており、学部1年生時、故中川米造先生の医学概説の講義に「医者はシャーマンから派生した」との言葉を私は思い返します。
「初宮で乳児に神楽鈴(巫女が舞う時に右手に持つ鈴)をかざすことは聴覚検査か?」「七五三詣は3・5歳児健診と就学時健診?」
厄年の祈祷はライフサイクルの各節目の心身の変化への気付きを誘導、病気平癒の祈祷は不安・恐怖の解消、医師と患者との関わり方に似た関係性が、神社や寺院と氏子・檀家にもあります。
ところで、氏族社会以降、折々の参拝は氏神様へとの習わしであり、明治期の橿原神宮の初詣の人数は数人であったと同神宮の日誌にあるそうです。しかし、電車の発達により人々の行動範囲が広がり、大社等へ初詣をするようになったとのことであり、川崎大師が先駆けだったそうです。地元の医院から大病院へ受診する患者に似ているかもしれません。
近年、スマホ等を利用しての参拝も可能とする神社まで出現しており、オンライン診療を連想させます。日常生活の中でのお詣りから遠方の物見を兼ねた参拝、そして、デジタル機器を介した参拝への変容は、我々の行動範囲の拡大や情報アクセスの多様性を反映していることは明らかです。
一番大切な点は参拝者の心のはずですが、参拝様式が変容すると、参拝者の心のあり様も変容している節があります。医療界での受診様式は、国のDX推進に翻弄され、マイナンバーカード利用とオンライン診療が推し進められており、患者・医者関係の希薄化を危惧される先生も多いと思われます。この希薄化を許さないためには、適格な診療のみならず、同じ生活者として愚痴を言い合い、励ましあう時間が必要だと思われます。
あるデータに「リモート参拝を行った人の割合は10%強である」とありました。さて、オンライン診療で十分と考える国民は、いったい何%なのでしょうか。
焚火には、憧れがあります。新春ともなれば、関西では、天理市の石上(いそのかみ)神宮お火焚(おひたき)祭、住吉とんど祭、また、各地正月行事の「どんど焼き」、大護摩など、3月には、1270年以上続く東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)等、焚火を伴ったお祭りがあります。私は、行きたいけれど、しばらく暇なしです。
さて、話は変わって、心象のお話です。皆様には繰り返し思い出されるようなイメージは、ございましょうか。ご家族の笑顔や、心に残った美しい心象風景が現れることもございましょう。今日はそんな個人的な、心の中の新春の焚火のお話です。
20年以上前のある晴れた日、淀屋橋での出来事です。それからずっと心に残っている和歌から得た心象があります。焚火を好きなためか、イメージとして、繰り返し思い出します。
その日、暇にまかせて散歩がてら、ぶらぶら適塾に立ち寄りました。1階には、懐かしい畳と木の日本間、落ち着くが開放性も高い空間を感じました。2階へと階段を上がれば、さらに開放的で屋外に目を誘う大きな窓、血気盛んな塾生らがつけた柱の刀傷、平らに広げられた多くの展示品、文書や文具、古いデバイス達を楽しみました。どれも、もの珍しく、塾生らのお名前を眺めたりしておりました。やがて、そろそろ帰ろうとして2階から下り際、部屋の隅の方ガラス越し展示に、細く墨で書かれた、和歌の短冊がありました。少し私には光って見えました。
のちのよの
闇のためにも
焚きのこせ
ふくる夜川の
瀬々の篝火 章
一瞬、瀬々の篝火の心象が、ほのかに見えました。作者の意図にかかわらず、私の当時の境遇からは、「何かを引き継いだら、篝火を絶やさず、少しでも闇を照らすように」という諭しに読めました。読みながらも、すでに私の心象にはチロチロと燃える篝火、「うーん、非力でも何とか頑張らんとね」と勇気づけられたのでした。読後には、頭が自然に下がり、参りましたという感じがありました。数分間の出来事ですが、不思議な体験でした。「瀬々」は、多くの瀬、その時々、折々。「篝火」は、夜間の警護や照明、漁灯などで焚く火。本日調べると、章とは洪庵先生の諱(いみな)だそうですが、あの短冊がそうなのかは今も不明です。
誰の作かを問わず、その数分間の心象、「篝火」は、その後も20年以上に渡り、繰り返し現れます。持続可能を目指す世界で、二酸化炭素を出さない「1/f」ゆらぎの炎が、リラックスや光や勇気を与えてくれています。焚火が人間にとって特別な意味を持つものであることも、心象として定着した一つの理由だろうと思います。有名な和歌ではないけれど、私にとっては、恩恵ある体験となりました。感謝。
最近、Facebookは社名をMeta(メタ・プラットフォームズ)に変えた。当初、このMetaの意味が分からなかった。〝あとに〟から始まって〝高次の〟〝超~〟などに意味が転じていく。日本語では概念が分かりにくいが英単語にすると“after”“beyond”でスッキリ馴染む。Meta-analysis, metabolism, metastasisが例。さて、Metaであるがmetaverseに重要なVRやAR製品を生み出すの表れと聞く。また、分からない単語が出てきた。Metaverse? 造語である。Universe(宇宙)から転じてインターネット上の仮想空間をmetaverseと称する。
この空間はどこに存在する? 宇宙上にその座標は無いようである。Eコマースの代表、楽天市場やアマゾンは地上に存在するように感じるが、実店舗や倉庫はあるが市場そのものは想像上のものである。皆があると信じるから意味や価値をなす神話のようなものである。
転じて、オンライン診療のその一歩先にメタバース医療が行われていくかもしれない。メタバースに存在するクリニックって? 医師もナースも患者さんも、3次元スコープを顔に装着して全く別々の場所にいながら、仮想空間上の目に見える診察ルームに入って会する(ここが現在のオンライン診療との決定的違いである)。問診、視診、聴診は今のデジタル機器を改良すると可能であろう。視診や聴診などは可視光や可聴周波数帯音以外の波長の光や音をセンシングすることで、もっと診断領域が向上するかもしれない。概念が実現された時、問診、視診、聴診、オンライン処方箋までは医療者も患者さんも、距離の制約が外れる。往診や在宅医療も移動時間の節約化が図れる。最も実現に課題が多そうなのが触診である。ロボットとセンサー技術のさらなるイノベーションが必要であるとともに、患家にこのような装置を設置できないので、センター化が現実的であろう。処置、各種検査なども同様に遠隔診療の延長上に可能であろう。
そして、この先である。人間の大脳全機能がコンピューター上に復元(アップロードといっても良い)される数百年後の未来=技術的特異点(シンギュラリティ)を迎えた時、私という医者は有限時間でしか存在し得ない肉体の限界を乗り越えて永遠に診療を行えるのである。患者さんも肉体は終焉を迎えた後も、コンピューター上で存在でき、私Aと患者Bさんは永久に診療を行えるのである。そしてそのつながりは点対点でなく全人類が集合体となって一つの巨大メターバースで途絶えることなく行われており(STNGのボーグ集合体的)、コンピューター上で存在する患者医師関係が永遠に続く。それは天使の舞う光り輝く天国か堕天使が微笑む囚われの世界であろうか?
新年明けましておめでとうございます。
令和5年はオンライン診療が本格化するとともに、かかりつけ医の役割が初めて法律に明記されるなど、大きな変革の到来が予想されます。
泉佐野泉南医師会ではかかりつけ医機能の強化を目指し、2年7月以来、理事会の中に数名の生涯教育委員会を組織して活動を行ってきました。毎月第1木曜日午後に開催する理事会前の30分を利用して委員会を開催し、毎月の学術講演会のテーマと講師を決めています。日本医師会生涯教育制度が定める基本研修84のカリキュラム(CC)に沿い偏りなくテーマを選ぶことで、2年半で60以上のCCを消化し、すでに修了認定証を授与される会員も出始めています。コロナ禍でハイブリッド主体の講演会ゆえ、会場は当医師会看護専門学校の講堂から参加会員へ発信するのがほとんどで、会場費負担がなく、講師料(7万円前後、当医師会員は5千円)のみで済むので、企業の支援や介入なく運営できるのが特色です。印象に残った講演会を一つご紹介します。
CC20不眠(睡眠障害)の講演会開催に当たり、どなたに講師を依頼するかの協議になったとき、委員の一人(脳神経外科専門)が筑波大学の柳沢正史教授を挙げました。柳沢先生はエンドセリンの発見者で、不眠治療薬ベルソムラの創薬者でもある世界的権威ゆえ、地域の一医師会からの依頼だけではとても無理かもとの意見が出た一方、ダメ元でよいから一度アタックしてみようと主担当理事(糖尿病内科専門)が依頼状を送ったところ、思いも寄らず快諾のお返事をいただいたのです。講演数日前には予行演習にも立ち会いくださり、4年6月25日に筑波大学と当医師会をオンラインでつなぎ、70分の講演を拝聴して質疑応答でも明快にご教示賜わるなど、私達にとって記念すべき1日となりました。
かかりつけ医機能には、生涯教育以外にも休日・時間外対応など難題が求められていますが、一つひとつクリアしていく所存です。
本年もよろしくお願い申し上げます。
大正11年生まれの亡父は、大阪日赤病院の元正門前にあった祖父が営んでいた布団屋に生まれた。戦前は病院に入院する際は布団を持参することが多かったようで商売は繁盛していたらしい。地元の旧制中学卒業後の進学先は、日本統治下の中国遼東半島の大連にある学校であった。当時は内地の学校に行くより外地の学校の方が兵隊にとられにくいというのが理由であったらしい。ところが、卒業後、満州の日本企業に勤めていた時に徴兵されて終戦。2年ほど、ソ連の捕虜となりシベリアに送られた。このシベリア抑留生活についてはほとんど語ったことがなかったが、寒い季節を極端に嫌がったことや真面目によく働く人間ほど先に死んでいったと繰り返し呟いていたのを覚えている。親父は真面目ではなかったのかと突っ込みを入れたかったが黙っていた。
昨年、ロシアによるウクライナ侵略で、多くのウクライナ人が虐殺されあるいは捕虜になり、また、大量の一般住民もどこかに連れ去られたとの記事が伝えられ、父がロシア(ソ連)の捕虜であったことを思い出した。昨年、日本では早々と降伏したほうが命だけは守られるから良いというような言説を唱える政治家や評論家が出てきた。57万人以上が奴隷にされ5万5千人以上が亡くなったシベリア抑留は、飢えと寒さと重労働さらに日本人同士の裏切りなど筆舌に尽くしがたい生き地獄であったとの証言者も多い。日本人は辛酸なシベリア抑留を体験しながら、これを次世代に伝えていないから能天気な政治家・評論家がはびこる。降伏すれば被支配者として安穏な日々が送れるはずがない。残念ながら、いまだに世界は弱肉強食が現実で、弱者は何をされるか分からないのである。
平成の始めごろ、海部俊樹内閣だったか、シベリア抑留者全員に銀杯が贈られた。捕虜生活が数年、長い人は10年で銀杯一つだけかという批判も当時あったらしいが、親父はとてもうれしそうに大事そうにそれを眺めていた。
「恐れいりや(入谷)の鬼子母神」をご存じですか。親達は我が子の安全と健康を祈願し、鬼子母神にお参りします。関東では入谷と雑司ヶ谷の鬼子母神堂が古く、地口として残ります。子ども殺しを諭されお釈迦様に帰依した仏様です。石榴(ざくろ)の実や木を手にした仏姿で、宗派に関係なく8のつく日(8、18、28日)を縁日とし人々は参詣します。残念なことに、大阪では鬼子母神は関東ほど有名ではありません。昔は浪花の名所絵図にも載っていたそうで、子どもの頃私も母と参詣しました。最寄り駅は国鉄大阪駅で、線路沿いに5分程歩き、ガラス戸を開けて境内に入りました。坊様は「ついで参りかいな」と笑いましたが、母はデパートの買い物に、私は食堂に寄って帰るのが楽しみでした。
お寺の縁起によると、その昔大雨で梅田村が水没し、数日後水が引くと大川端に鬼子母神像が流れ着いており、村人は驚きお寺に担ぎ込みました。住職は宗旨を変えて仏像をお祀りしたそうです。残念なことに、今そこにお寺とお堂はありません。昭和の梅田再開発事業で、高槻市摂津峡に移転しました。深山幽谷で趣深いのですが、梅田にあれば都心のパワースポットとしてもっと有名になっていたはずです。さて、梅田へはどこから来られたのでしょうか。立派な仏像ですから、京都に違いありません。鬼子母神堂は京都市内や稲荷山などにあり、醍醐寺にも仏画があります。市内や伏見なら鴨川・桂川から、醍醐寺なら宇治川から淀川を下り、梅田にたどり着かれたことになります。長い旅路を経て、幾歳月も子どもの健康や幸せを祈る親達の願いを叶えてこられたことでしょう。でも、子どもが巻き込まれる事件や事故が最近はあまりにも多く、驚き、あきれておられるに違いありません。
「今年こそ子ども達が巻き込まれる出来事が起こりませんように」と、新年に際し心からお祈りするばかりです。
令和4年度より、西口幸雄前会長にかわり、大阪市役所医師会長を担当させていただいてから、ずーっと、夢をみていることがあります。それは、当医師会でMVPを決めることです。4年になってから、ウクライナ問題、新型コロナパンデミックと、毎日、テレビのニュースは気が滅入る話題ばかりでした。唯一明るい話題は、前年の大谷翔平選手のMVPでした。「オオタニサン」の活躍のニュースだけが毎日の楽しみでした。
そんな中、我々の職場でもMVPを決めて明るい話題にできないかと思い、会長になってから大阪市役所医師会代議員会で提案させていただきました。当初、MVPはMost Valuable Playerですので最優秀を一人と考えていましたが、代議員の先生からのご意見で、「医師の仕事の多様性の中で、優劣は決められない」「日常業務に賞を与えることに違和感がある」「医師会が人事評価をすることはおかしい」と、様々なご意見をいただき、MVPをMedical Valuable Personとして、各部門から数名選ぶようにしました。臨床、研究、実地活動、後継者の指導に寄与した医師会員を顕彰する「いいね制度」を作ることで、会員の労をねぎらうとともに、働き甲斐のある職場づくりを目指したいと思っています。
現在、大阪市役所医師会は、総合医療センター、十三市民病院、住之江診療所、大阪市人事室、こども青少年局、健康局保健所、教育委員会、こころの健康センター、心身障害者リハビリセンター、弘済院附属病院などに全588人の会員がいます。部門としては、研修医部門、専攻医/レジデント/シニアレジデント部門、病院部門スタッフ、行政部門スタッフ(スタッフ部門は数人のチームも可)として、全会員からの推薦を予定しています。これを機会に、ダイバーシティを目指したいと思っています。5年新春には決定予定です。ご報告させていただきたいと思っています。