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時事

シーリングの捉え方

府医ニュース

2022年12月28日 第3022号

若い医師が夢を持てる制度へ

 令和4年度在阪5大学医師会役員・2行政医師会役員との懇談会で、各施設から様々な意見が寄せられた。その一つに、日本専門医機構が提示するシーリングが、医師の偏在解消に役立つかは不明という意見があった。地域へ派遣された研修医は、短期間地方に赴任した後、大阪に帰って来るためである。このような制度は研修医の人生設計を乱すだけで、地域派遣はキャリア形成に役立たないという意見もあった。
 コロナ禍を経験して、人心は変化してきている。また、コロナ禍前に決定された事柄も、時間の流れとともに忘却されつつあるため、シーリングは専門医機構が押し付けてくる無意味な方法論というような風潮になってきた。私自身も専門医機構のシーリングに至った詳細な経緯について、記憶が少し曖昧になっていたため、過去の本欄(本紙第2896号/元年6月26日付)を読み返してみた。また、日本内科学会雑誌(2012年101巻12号、p.3553~3556)にも専門医機構に関する記述がある。コロナ禍は強烈に以前の記憶を包み隠してしまったのである。シーリングにおける計算式は、一回目から実体を反映したものであるかが曖昧と指摘されていた。しかし、現在でも多くの人が不可解と思う制度が継続している現実は、何らかの意味があると考えなければならないが、若い医師にとっては理不尽な計算式で自分の人生が振り分けられるので当然不満は爆発する。今回の懇談会は、そういう意見が多かった。
 これだけ言えることは、シーリングに変わる画期的な制度があれば、それはすぐに採用される可能性があるということである。この蓋然性が非常に重要である。専門医機構が現在提示しているシーリングは、誰もが最適なものとは思っていないが、現状の医師偏在を解決する方法論に代わるものはないという状況下でのスタートであった。この制度が良くないと考えていても否定論のみでは事が先に進まないため、どんな立場からでも良いから建設的な意見を提示することが求められている。最近、医師のプロフェッショナルオートノミーという言葉を聞かない。これは厚生労働省が2004年に新臨床研修制度を導入し、医局制度から解放された研修医が都市部に集中し、医療崩壊という社会現象を起こしたが、結果的に専門医機構が新専門医制度を打ち出すまでは、医師偏在対策は試行錯誤の連続であった。再三の国家介入を日本医師会は留保しており、「医師が医師の力で自らを律する」という意味として使われている。
 シーリングは専門医機構が科せる制度と医師は思うが、国民の捉え方は少し異なる。「医師」が国民に対して打ち出した医師偏在への一矢であって、医師自身は渋々その制度に従っているのだから、うまくいっているのだろうという風に捉える。懇談会で上がったような研修医の意見を傾聴する場があるということは、プロフェッショナルオートノミーの成果でもあろう。19年に専門医機構の寺本民生理事長(当時)が発言した「今回はこの数値を基に進める」「より精緻なものにしていく」という言葉は、一つの転換点ではあった。しかし、事情を知らない賢い研修医には、近似式を安易に操作しているようにしか見えない。だから別の角度から切り込めば、対外的にも評価されていくのではないかと思う。例えば、若い医師ばかりでなく、国民にも分かりやすいスローガンを掲げ、一度へき地に赴任してみようという新進気鋭の若い医師を出すような風潮を作っていくことは必要だろう。また、へき地と思っていたら、とんでもないほど近代的な医療システムが運営されていたという感動を与えるような地域医療を展開していくのも良いと思われる。大阪公立大学の新潟プログラムなどは、そういう意図があるように思える。夢を持たせる地域医療プログラムを作る機運を専門医機構や各大学が盛り上げていけば、計算式は形骸化しても、歴史的な意味付けがされていくであろう。若い人の夢を壊すような風潮は、未来の医療にとってよろしくない。
(晴)