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府医ニュース
2020年12月30日 第2950号
明智光秀(今号から歴史人物の敬称は略)が最初に築城したのが坂本城です。430年前の湧水はいかに、いかに。
史実検証に際して良質とされる一次史料に日記があるそうです。織豊期(安土桃山時代)では宣教師フロイス「日本史」だけでなく、山科言継の「言継卿記(ときつぐきょうき)」や吉田神社主、吉田兼見の「兼見卿記」があげられます。「時はいま、雨がしたしる」の愛宕百韻興行時の降雨状況や、クーデター当日の日出時間まで記されています。
宗教家や公家の日記なので恣意的ではなく、信憑性が高い(光秀に近い吉田兼見は山崎の戦いの後すべて書き直し、あれま)とされます。後年のスタンダードとなった「惟任退治記(これとうたいじき)(惟任とは光秀が信長から賜った名字)」は秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)(行政以外の文化系の側近)、大村(おおむら)由己(ゆうこ)が書いたので利益相反上、信頼できません。しかし信長家臣の太田牛一による「信長公記(しんちょうこうき)」や、傍観者的な細川家譜ともいえる「綿考輯録(めんこうしゅうろく)」あたりはCOIをクリアできそうです。
その吉田神社の社殿に岩風呂があったとされています。光秀は雄琴から山中越え(比叡山ドライブウェイの中山峠、車でも30分要)でもらい湯に来たそうです。湯冷めや、いかに、いかに。今も吉田神社の南には銭湯(平○湯)が盛業中ですけれども。(冬)