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医師・医療関係者のみなさまへ

ミミズクの小窓

脳内の獏、MCH神経細胞夢を喰う

府医ニュース

2020年2月26日 第2920号

 「獏(ばく)」という伝説の超自然的存在をご存じだろうか? 悪夢を好んで喰うnightmare eaterとされる。だとすれば悪いヤツではない。さてこの獏、実はヒトの脳にも棲んでいるのかもしれない。
 メラニン凝集ホルモン(MCH)なるペプチドがある。元々は魚類で発見され、皮膚にあるメラニン産生細胞を凝集させて体色を白く変化させる作用を持つ。このMCH遺伝子、哺乳類でも種を超えて広く保存されているが、哺乳類ではもはや体色を白くする作用はない。MCH産生神経細胞はマウスでは視床下部外側野に限局していることが知られており、その機能が研究されてきた。
 最初に注目されたのはMCHと摂食行動との関連である。すなわち、MCHは視床下部性摂食行動調節に深く関わっているという(Nature 1996, 380: 243, 1998, 396:670)。しかしMCHの機能は、それだけではない。最近注目されているのは睡眠・覚醒調節ホルモンとしてのMCHである。
 このテーマについて研究を進めているのが名古屋大学環境医学研究所のグループである。彼らは遺伝子改変マウスとMCH神経の光操作技術を駆使してMCH神経がレム睡眠とノンレム睡眠、両方の制御・調節に重要な役割を果たしていること明らかにし(J Neurosci 2014, 34:6896)、更に最近、レム睡眠中に活動するMCH神経が夢の記憶を消去することを報告した(Science 2019, Sep19 online)。この記憶消去機能はPTSDの治療への応用も期待されている。
 「見ていたはずの夢は、いつも思い出せない」というのは大ヒットしたアニメ「君の名は。」(新海誠監督/平成28年)の中のセリフである。これぞまさに夢の消去である。「えっ、君の名は? 真知子巻き? 菊田一夫じゃないの?」とおっしゃる方、間違いなく大ベテランであろうが、もう時代は変わっているのだ。
 昭和45年11月25日、大学生のミミズクは難波をぶらついていた。そこに突然の号外……。作家の三島由紀夫氏が自衛隊市ヶ谷駐屯地総監室を占拠し、自衛隊員を前にアジ演説をした後、割腹自殺を遂げた。三島氏は生前「人間に忘却と、それに伴う過去の美化がなかったら、人間はどうして生に耐えることができるだろう」との言葉を残している。彼はその思想と行動の苛烈さとは裏腹に、人間の弱さもよく分かっていたはずなのに、なぜ、と思わずにはいられない。彼は自らの悪夢を消去できなかったのであろうか。