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医師・医療関係者のみなさまへ

時事

令和に臨む心

府医ニュース

2019年4月17日 第2889号

世界の医療を牽引する足掛かりに

 昭和の沈鬱な終了とは打って変わって、お祭り騒ぎの令和となった。大阪では令と和が名前にある人はたこ焼き食べ放題とかで、饅頭の上には令和の焼き印が、1時間でゴールデンボンバーが新元号ソングを作るなど、もう元号に足が生えて踊りださんがばかりの勢いである。4月1日の午前11時30分には、今か今かと待ちかまえていた私であるが、菅義偉官房長官が顔色一つ変えないで額を持ち続けた時間が少し長過ぎるのではないかと思ったほどである。この時に掲示された文字をスキャンして湯飲みに刻印する業者が紹介されていた。厳粛なる元号が商売のネタにされることを許容する風潮にはいささか戸惑いもあったが、それだけ親しみ深いということであれば、大阪人からみれば、いつもと変わらないノリが全国に拡大した感じである。
 令和の命名は全く安倍晋三首相の独壇場でもあった。2006年に著書「美しい国へ」を出版してから13年、実際、首相談話でも「人々が美しく心を寄せあう中で文化が生まれ育つという意味が込められている」と述べているように、この13年の間に天皇生前退位という歴史上希にみる決定を下し、その元号に初めて漢書ではなく、万葉集という日本の古典を引用するなど、明らかに世相を意識した命名である。
 「時(とき)に初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして気(き)淑(よ)く風(かぜ)和(やわら)ぎ、梅(うめ)は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」という一節は、万葉集からの出典とはいえ、ひらがなではなく漢文で書かれており、また梅の木は中国から輸入されたばかりの舶来品であったし、元号そのものも中国伝来の律令制度のたまものであり、中国では皇帝制であったものが、日本では天皇制に結びついたのである。オリジナリティは中国にあるわけである。
 強大化した中国と付き合っていかなければならない日本の力関係は、元号が導入された古代と類似している。日本に律令制を導入したのは、隋や唐の国力や文化に驚愕した古代日本人が、これらの国々に征服されないように強力な国家制度を作るためであった。遣唐使であった最澄や空海など有名な開祖も、日本の文化に深く根差しているが、彼らはどのような気持ちで唐に渡ったのであろうか。今回の万葉集の出典も、太宰府で大伴旅人のグループによって詠まれた序文であるということだが、太宰府とはまさに現代における防衛省でもあったわけである。
 令和の意味である和を命令するとは、出典こそ日本の古典ではあるが、独立した立場で中国文化への尊敬の意味も込められており、平和の和でもあり、今後の東アジアの文化発展への期待を込めた中国へのメッセージでもある。折しも令和の元号が発表されてから4日後には程永華中国大使が9年ぶりに交代されたことは、偶然の一致とはいえないだろう。中国世論も日本固有の出典とはいえ、漢字の元号に対しては敏感に反応しているようで、令和が両国の発展に向けた架け橋になることを期待するのである。
 では内政に目を向け、期待感に満ちた新しい時代に医療はどう在るべきかというと、いつまでも浮かれていられない状況にある。実は美しい国という文言に象徴されているが、政府は我々に美しい日本の医療を命ずるというメッセージを送っている。多方面にメッセージを送るあたりは玉虫的であるが、我々は既に「地域医療構想」や「働き方改革」にどっぷりと浸かっており、これも和として丸め込まれているわけである。これほど美しい国を大きくしてしまった我々にも責任はあるが、世界的視点として令和を捉えるならば、乗りかかった船だから、今更働き方改革云々という話よりも、まず難なく地域医療構想や働き方改革を克服するくらいの実力を見せつけてから、我々の思う方向へ世界の医療を牽引する足掛かりにするという考えも悪くない。日本がこれだけ沸き立っているのだから、一緒に踊って自分たちの方向へ大衆を導く強かさは許されていると思う。
(晴)