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医師・医療関係者のみなさまへ

勤務医の窓

阿部源三郎先生を悼む

府医ニュース

2019年3月20日 第2886号

 阿部源三郎先生がお生まれになられたのは大正8(1919)年12月22日で、亡くなられたのは平成30(2018)年12月3日でした。満98歳、数えで100歳。大正、昭和、平成、激動の時代を生き抜き戦争体験者の生涯を終えられた。
 大阪帝国大学医学部を昭和18年9月に卒業後、海軍軍医に任官。20年8月の終戦で解職以後、23年9月から大阪市伊藤萬(株)診療所(現・住金物産〈株〉診療所)で産業医として従事され、その間、医師会の活動にも精力的に取り組まれた。先生の所属する医師会は大阪市東区医師会(現・中央区東医師会)で、35年に樋渡雋二郎・同医師会長から大阪府医師会の藤原哲会長に提出された建言書では、同区医師会の現状と課題について勤務医・産業医の問題を提起され、その活動の中心人物として取り組まれた。同じ頃の28年、大阪市に勤務する医師総数300人と市立病院や保健所医師により大阪市勤務医師連絡協議会が結成され、当面の課題として医師の身分待遇改善が取り上げられた。行政職一本の体系から職能別給与体系になるまで色々苦心の活動がなされた。36年12月1日、大阪市役所医師会として正式に登録し、大阪市の地域医療の推進、市民病院、保健所の在り方、会員の福利厚生のみならず救急医療、学術教育、医療と公衆衛生など研究と活動を推進する。次いで大阪府に勤務する医師も大阪府庁医師会として加入する。紆余曲折の後、39年6月に府医勤務医委員会が作られた。それから約10年後の48年7月7日、府医勤務医部会が設立された。
 先生は部会設立に大きな貢献をされ、60年もの長い間、その活動を推進されてきた。府医の歴史に永遠に記録されることでありましょう。山口正民・府医会長誕生(47年4月)の時、理事のひとりとして私が勤務医問題担当を命ぜられたその時以来、今日まで阿部先生にご指導を賜ったことは忘れることができない。
 勤務医部会設立後、全国医師会勤務医部会連絡協議会(第2回)を府医勤務医部会主催で開催し、組織運営、地域活動、福利厚生について討議を行った。また、設立10周年記念式典では阿部先生(当時、副部会長)が開会の辞を述べられ、医師急増を控えて、勤務医の未来についてシンポジウムが行われた。稲葉博・府医会長、花岡堅而・日本医師会長、岸昌・大阪府知事、大島靖・大阪市長の来賓祝辞があった。その後、30周年、40周年と記念式典が行われ、その時々の最長老として色々の苦労話をお聞かせいただき、大変感銘を受けた。
 亡くなる3日前、病院に見舞いに伺った際に「オリンピックまでがんばってください」と別れたのが最後となった。残念。

大阪府医師会
勤務医部会顧問
橋本 博
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