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本日休診
府医ニュース
2018年5月30日 第2857号
昔ながらの町医者の跡取りなので、看取りの仕方も祖父から続くやり方を小生は参考にしてはいるが、父と私の間で決定的に異なる考え方がある。
父は「本人が家で亡くなりたい、そして、かかりつけ医に看取ってもらいたいと言えば、たとえ家族が非協力的であっても、ドカドカと自宅へ往診に行くべきだ。それが長年自分についてくれた患者に対する奉公である」と今も言う。私はそれには異論があり、「本人の望みが最優先であるのは間違いないが、家族が望まなければ時としてかかりつけ医が引くこともあり得る」という考え方だ。もちろん、ご本人と親族の意見が近いレベルで一致していれば言うことはないだろう。しかし、継承して分かったが、父が看取りをした後、家族が当院に来るケースばかりではない。家族全員が来なくなるケース、息子さんだけ来院しお嫁さんは他院に移るケースがあるのだ。来なくなるケースでは、伝え聞くと、父のやり方に反感をあらわにしていることが多い。父は全くそれを意に介さないが、私は父の自身への育て方への反発も手伝って、患者家族を交えた調和を取らないやり方をなぞろうとは思わない。
目の前の患者さんが何歳であっても、将来どこで亡くなろうとも、その時点でのかかりつけ医に看取られたいと思われるような信頼関係を作る、そのために普段の外来から私は死の準備教育を行っている。その中には、「ご家族に、ちゃんと自分がどのように過ごしたいか伝えてね」「息子さんが帰省したら一度外来に連れてきてよ」「(子どもに対して)おじいちゃん元気?」というご家族とのつながりを求める言葉かけも入るのだ。家族や親族への声かけ、これは、看取りへの種まきであり、地域住民への死の準備教育でもある。また父の看取りのやり方も、今の時代に合っていないだけで、いつより戻しが来るのかはわからない。死生観は個人とともに社会全体でも移り変わるものだからだ。時代という教科書で父のやり方を裁いてはいけないのだとも思う。(真)