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時事

国立病院機構八戸病院

府医ニュース

2018年3月7日 第2849号

心の中の奥羽山脈

 国立病院機構では、JCHOグループが平成26年から行っている医療支援を今年度から行うことになり、筆者は1月29日より2月9日まで八戸病院で過ごした。八戸市は青森でも太平洋側に位置し、雪は少なく暮らしやすいように思われるが、冬は氷点下になり、溶けた雪で地面は凍り付く。厳寒期に歩行する者は少なく、車移動は活発である。昨年、北海道・北東北の縄文遺跡群は世界文化遺産候補を大阪と争った。当地の是川遺跡はそのひとつである。藩政時代、青森県は奥羽山脈で隔てられた津軽藩と南部藩の領地であったが、それぞれ青森港と八戸港を持ち、経済的には相対峙していた。八甲田山に代表される奥羽山脈は、言葉も考え方も閉鎖的な地域性を築いてきた。奥羽山脈に降る豪雪は、夏に日本海側を主として灌漑するため、八戸のある南部は津軽と比較して貧農である。廻船で八戸港から入った大坂等の物資は八戸南部藩を潤したが、同時に農民小作化を促進し、飢饉の度に農民は圧政に苦しんだ。18世紀初め、医師である安藤昌益は、封建社会を批判する改革思想を八戸から発信し、戊辰戦争で新政府軍に敗退した会津藩を受け入れるなど、八戸市医師会の革新的な考え方は土地柄とも言える。
 青森県は人口131万人(27年国勢調査)で、65歳以上の高齢化率は大阪と比較すると1.2倍である。しかし、大阪府の5倍強の面積で人口密度は大阪の2.9%と少ない。人口減少の危機がある。一般診療所数は人口当たり大阪の約6割、病院数は約1.2倍である。若い医師は都会へ流出しているが、八戸市には八戸市立市民病院(608床)、八戸赤十字病院(434床)、青森労災病院(300床)があり、それまでの医局支配から、新医師臨床研修制度で人気の高い研修病院になった。人口23万人の八戸市には後送病院がなく、「救急搬送を断らない大病院」として診療所には評判が良い。しかし、ここにも新専門医制度は重く影を落とし、基準を満たさない病院から大学医局への医師回帰により、勢力地図に変化が出始めている。過疎地で医療機関が少ない場所もあるが、八戸市に関しては決して医療環境が悪いわけではない。この地に医学部がないためか、勤務医には地域的な閉鎖性は少なく、また診療所との交流も盛んである。
 八戸病院が医師不足になった理由は、東北大学から派遣元である市民病院への派遣力が弱まったことが引き金であるが、患者の多くが重症心身障害患者で、研修に変化を求める若い医師が敬遠したためである。定年退職後の指向性ある医師を非常勤で採用する方法は、国立病院機構の内部規約では定年後再雇用は就職履歴が必要であることに阻まれる。疾患内容は、内科では脳卒中、ALS、ALS以外の神経難病、筋緊張性ジストロフィー、外傷性頸椎頸髄損傷、低酸素性脳症など、また、小児科では重症心身障害児(者)で転院不可能な患者が長期入院し、平均年齢は40歳である。このような社会的使命を帯びた病院に対し、医師定員5人のところ常勤3人、北海道医療センターから出向の非常勤1人となり、基準を満たさず診療報酬減額の危機に陥っていた。重症心身障害児(者)に対応できる在宅医が少ない当地では、病床縮小は患者危機につながり、国立病院機構本部が動いた。青森県では診療所と病院の問題は今まで独立していたが、地域医療構想、地域包括ケアそして新専門医制度など、県医師会が一丸となり取り組むことで、地域間隔壁を超えるアイデアの模索が始まっている。高木伸也・八戸市医師会長から姉妹郡市区医師会の提案があったが、遠くだからこそ異質な青森に、新しい大阪の風を吹き込みたい先進性を感じた。
 病棟の自動ドアが開いた瞬間、モニター音の喧騒と、忙しく動き回る看護師や理学療法士などの活気が強く顔を撫でた。いまだ紙カルテである八戸病院は、常勤医師がコメディカルと一体となり、指示を簡素化しタスクシフトを随所に取り入れ、業務を効率化させている。各部門が活発に高度な判断力を共有し、病棟全スタッフカンファレンスなど、同時に情報共有し無駄がない。また、良好な財務状況や働き方改革完了など、医師不足に進化で対応している。すべての医療スタッフが志に燃え働く八戸病院を見て、『患者』を診る医療ではなく、『人』を看る医療が脈々と行われていることを知った。医師の地域偏在は心の偏在のような気もする。我々の心に奥羽山脈がないかどうか、案外遠い世界にいるほど分かるのかもしれない。(晴)