TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ

追 悼

故自見弘之先生を偲んで

府医ニュース

2017年6月7日 第2822号

 5月11日、自見弘之・大阪府医師会広報委員会委員長(日本医師会代議員・府医代議員/元淀川区医師会長)がご逝去されました。77歳でした。ここに謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りいたします。
 かつて広報委員会で副委員長としてともにご尽力いただいた、本紙編集委員会の海野勝利委員長より追悼文の寄稿がありました。

                                 
 自見先生とは、かれこれ23年、決して長くはないが密度の濃いお付き合いをしていただいた。国保の外科担当審査委員として席が近く、いろいろ話をしている中で「それ書いてみないか」と広報委員長の立場から勧められた。府医会報への投稿をきっかけに先生との距離が縮まった。以来、とても親しい間柄に。私も広報委員になり一時期副委員長として自見委員長を補佐したのも思い出のひとつ。
 私が研究会であいさつすると知って研究会に現れたのにはビックリ。「ちゃんと喋ってたな」と。頼りない弟分を心配したのかも。大きな腹の巨体にもかかわらず軽快に動ける人だった。小生が病を得て1カ月審査を休んだ後の大阪府医師会代議員会の折、真っ先に「大丈夫か?」と席まで来てくれ、思わずホロリとしたことも。自身の疾患については臆することなく淡々と対応していた。
 一方、酒の面ではエライ目にあわされたことも数知れず。国保審査委員会研修旅行の宴会で泥酔しSAS状態。イビキくらいならまだしもSASでは気が気じゃない。で、こちらが睡眠障害。翌日のゴルフは二日酔いサポートのおまけ付きとなった。また、委員会などの会食の後は「次、行こう」とホームグラウンドの十三へ。ひたすら解放されることを祈りながら時を過ごす場面も少なくなかった。一度、放っておけずタクシーで自宅まで送り届けたことがあったが、奥様が門前まで迎えに出ておられたのに仰天した思い出がある。
 傍若無人に見えて、実は豪快で思いやりのある憎めない先輩であった。常に何かしらの書物を持って語る姿は、広報委員長としての矜持もさることながら生来の読書好きを感じさせる存在だった。自見先生、あの世でも飲み過ぎないように、安らかにおとなしく?お休みください。そして、弟分のスペース取っといてくださいよー。
合掌
                                   海野勝利