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医師・医療関係者のみなさまへ
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新春随想
府医ニュース
2016年1月20日 第2772号
本紙恒例の郡市区医師会長による「新春随想」。医療界に限らず幅広いテーマでご執筆をお願いし、13人の先生から玉稿を頂戴しました(順不同/敬称略)。
明けましておめでとうございます。河内長野市医師会の中林才治でございます。河内長野市医師会では、前会長・前々会長の時期に看護学校を閉鎖し、建物を整理するという改革が行われました。これからは、私どもは「2025年問題」をキーワードに、健康寿命の延伸に向け、効率的・効果的な医療の提供が必要であること、また、地域包括ケアは超高齢社会下の最重要インフラであることを念頭に置きつつ、在宅医療・介護の需要の一層の高まりに対応しなければなりません。
さて、高向玄理(たかむこのくろまろ)の郷である河内長野市は、古来から帰化人の邑があったとされています。高向は遠く6世紀に渡来した氏族で、遣隋使小野妹子に従って隋に留学し、その期間は33年にも及び、その間、隋の滅亡と唐の成立を目の当たりにしました。政治、制度に関する豊富な知識と海外情勢にも明るいことから、帰国後、大化の改新の新政権において、国政の最高顧問である国博士(くにのはかせ)に任ぜられ、改新のブレーンとして活躍したと言われています。河内長野市では、この高向玄理のご当地キャラとして「くろまろくん」が登場しています。
歴史の大きな変換期に先人の苦労を思うと、スケールは異なりますが、現政府のTPP交渉での医療保険制度の行く末に不安が出てきており、それにも増して世界の中でも急速な出生率の低下に伴う日本の高齢化、その高齢者の医療問題に対応していかなければなりません。そのためにも高齢者の医療・介護を地域で診ることが大切であり、両者の連携がぜひとも必要であります。ことに河内長野市の高齢化率は府下でもトップクラスで、患者や家族を地域全体で支えていくことが重要です。我々もくろまろくんに肖(あやか)ってこの難題に立ち向かっていかなければなりません。
今年から河内長野市医師会は、大阪府の「在宅医療推進事業」における在宅医療推進コーディネータ研修事業を受託し、コーディネータ育成を開始しています。あわせて、かかりつけ医の存在がますます重要になってきています。かかりつけ医の役割として、担当する介護スタッフとの「顔の見える関係」の構築や、患者の生活情報・ケアプランの把握などが求められます。在宅医療・介護連携において、多職種協働により一体的に提供できる体制を河内長野市医師会と市行政が中心となり推進するとともに、多職種の方々が緊密に連携を取りつつ重要な役割を果たしていかなければと考えています。
新春おめでとうございます。少しだけ私の趣味のお話を書かせていただきます。私は、この季節になると鮎釣りが恋しくなります。もちろんこの寒い季節には、川へ行っても鮎は影も形もありません。暖かく降り注ぐ太陽の下、煩わしいことをすべて忘れて無心で過ごす時間を望んでいるのかもしれません。
鮎の友釣りは、他の魚釣りに比べ思い入れの多い釣りです。釣り方の特殊性や困難さ、限られた期間しか釣りをできないことがそうしているのかもしれません。私は30歳半ばより鮎の友釣りを始めましたが、およそ20年近く釣りをしていて、ようやく人並みの釣りが出来るようになってきたかなあと思うほど、奥深くて複雑です。でも、一度その虜になってしまうと、絶対に他の釣りに転向するようなことは考えられない程、面白い釣りです。春が過ぎて6月が近付いてくると、そわそわし始め、そしてシーズン初めての鮎をタモ(網)に受けてその香りが散った瞬間は、夏の到来を感じます。
鮎は1年で一生を終える魚です。春頃、子鮎は川を遡上し始め、川の中流上流域に達する頃には10~15cmに成長し、同時に食性が変わって川の岩についた藻(珪藻)を主食とするようになり、そして良い珪藻の付く岩の周りにそれぞれの縄張りを作るようになります。縄張り鮎は、他の鮎にお気に入りの珪藻が付いた岩を占領されないように、体当たりをして追い払おうとします。この鮎の習性を利用して釣るのが鮎の友釣りです。また、鮎は香魚の別名がありますが、成長して珪藻を食べるようになってその香りが強くなります。食べる珪藻の種類とその良し悪しにより香りも変わり、川によって鮎の風味に違いが出るのはこのためです。ちなみに、その香りはスイカの香りと表現するのが一番近いかもしれません。
最近では、釣り人の増加により川原でも人間の縄張り争いまで起きそうな始末です。しかし釣り人は様々な要素を克服して鮎を釣ることに集中します。世間のしがらみや煩わしいことをすべて忘れさせて無心にさせてくれます。これが、鮎釣りの醍醐味、楽しみです。
最近では、河川の環境は悪くなる一方です。いつまでも、孫の時代になっても、鮎釣りが出来る川が残っていてくれることを願います。昔話で鮎釣りの話をする時代が来ないことを祈っています。
夏が近付けば、今年も時間を作って行ってみたいと想う今日この頃です。
人文系の読書が趣味で、昨年は「反知性主義」についての好著が多かった。森本あんり氏の「反知性主義――アメリカが生んだ『熱病』の正体」は、この言葉が世間に認知された発端だが、学術書の体裁をとり新潮選書にしては珍しく版を重ねたらしい。内容は科学技術大国でありながら草の根では進化論を否定する初等教育が跋扈するキリスト教国アメリカの宗教の歴史と大衆社会状況を繙いた好著である。アメリカは清教徒が建国した宗教国家で出発し、宗教的儀式よりも聖書の解釈が重きをなすプロテスタントの国であるが、東部のエリート大学を出た聖職者の難解な聖書解釈や説教を排し、今もテレビ説教に見られるような宗教的熱狂をよしとしてきた社会的背景がある。元々は1950年代のアメリカで生まれた言葉で、知性、家柄、キャリアで勝る対立候補を破って大衆的人気で大統領になったアイゼンハワーやマッカーシーの赤狩りなどの社会現象を説明するのに登場したらしい。同著で森本氏は反知性主義を、作家の佐藤優氏の言説から引用し「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」と定義する。
反知性主義なる学術用語はアメリカ文化を語る上で以前からあったが、今この言葉に言及が多いのは、大阪の政治状況がそうであるように、いまの日本の社会情勢を説明するのに有用だからだろう。適菜収氏は小泉選挙で広告代理店が分析した「B層」、"IQは低く改革志向の強い層"に着目し、斎藤環氏は、「実利志向で行動主義で『気合いとアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ』的な冷静な思考思索よりも意気込みや姿勢を重視する」人々を「ヤンキー層」として論じている。別物を論じているようで反知性主義的な行動様式が通底している。
社会が停滞し閉塞感に覆われると、エリート層とか既得権層と言われる人々を攻撃し、大衆の持つ不満や怒りを自らの政治的資産に転化する巧みな政治的手腕を持つ者が登場する。具体的な着地点を示さず変革を煽る手法に何の政治的レガシーが残るのであろうか。
新年明けましておめでとうございます。
日本の医療制度は今、大変な時代に突入しようとしています。政府は在宅医療と認知症予防の二大テーマを掲げ、超高齢社会に対応しようとしています。私は昭和20年生まれで、団塊の世代より2年程先に生まれました。父が西区の九条四丁目で病院をしていましたので子どもの頃より九条で育ちました。その頃の思い出を少し……。
5歳の時、ジェーン台風があり、大阪も被害を受けました。九条はその当時土地が低く、台風が来ると安治川の堤防が決壊し、度々床上まで浸水することがありました。父が迎えに来たポンポン船に病院の2階から乗り込み往診に行っていたことを幼いながら強烈に記憶しています。その頃の子どもの遊びと言えば、缶ケリ、胴馬、ベッタン(メンコ)、ラムネ等で毎日日が暮れるまで楽しく遊んでいました。子どもが集まって遊ぶ広場の上には、日活の石原裕次郎の映画宣伝の看板がかかっており、そんなに日時をかけずに誰が描いたのか、非常に大きな絵で、今思っても上手かったなぁと思います。近所の子ども達が入れ替わり立ち替わり、毎日12~13人は集合していたようです。缶ケリは鬼役になった時、すべての人を見付ける前に缶を蹴られるとなかなか鬼の交代ができず、困ったものでした。チャンバラごっこもよくやりました。当然子どもはみんな斬り役志望です。私は勤務医の先生が斬られ役をやってくれたので、いつも斬り役。それが高じて後年、外科に……冗談です。
九条には、芝居小屋が2軒あり、ひとりでよく観に行ったものでした。人情ものが多く、子ども心に訳も分からず涙が出てきたことを覚えています。映画館は8館もあり、殆どが3本立てで大人55円、子どもは20円で、どこも満席の盛況でした。特に裕次郎映画は全盛で、正月には1カ月の間に2本公開され、楽しみにしていました。映画が終わると観客は皆、裕次郎の歩き方を真似して、出口のドアへ向かったものでした。
大晦日になると、父の帰りを待ち、家族揃ってNHK紅白歌合戦を観たものでした。今は娯楽が多岐にわたり、そんなこともなくなりました。
九条の遊び場には時折、物売りの野師の人が来ました。猛毒を持ったマムシかヘビを袋の中に入れ、動いている様子だけ見せ、「最後に皆の前に披露する」と繰り返し言いますが、このヘビ若しくはマムシより抽出したと言われる軟膏を売ることが目的なのです。どんな病や切り傷にも良く効くと言って、最後まで袋の中の動いているものは公開されませんでしたが、その口上が寅さんまがいに上手く、楽しくて途中で帰る人は誰もいませんでした。夏になると近くの小学校の校庭や、広場で盆踊りがあり、可愛い子を発見した時は、恋心もないのに子ども心にとっても幸せな気分になりました。
その頃遊んでいた友人が病院に診察に来てくれた時は、昔話に花が咲いて本当に楽しい一時です。九条生まれの九条育ちには、人懐っこいところがあるものです。遊んでいた広場は今もありますが、平成の時代となり、子どもは共同で一緒に遊ぶこともなくなり、家でパソコンや携帯、テレビゲーム等をしてひとりで楽しんでいる様です。もう昭和の時代が段々と遠くなっていく。そんなことを感じる今日この頃です。
空を見上げて雲を見ることが多くなった。
雲は時に躍動感があり、静かなせせらぎのように流れる雲もある。春夏秋冬、雲も季節によってその表現力が違って見える。夏はおおらかで、躍動感があり、種々の形の造形美を生み出している。まるでキャンパスの上に次々と絵を描くように、彫刻を作るように生命が宿っているように感じられる。
昔は気象情報もレーダーもなく、港から船を出すとき雲や風向きで天候を予想したものだ。現在は登山、スキー、ゴルフ、釣りに参加するとき少し関心がある程度で、朝起きて空を見上げるぐらいである。歩いているとき、飛行機に乗っているとき、よく雲を見る。小説、映画にも昔は雲という言葉がよく出てきたものだ。正岡子規の「雲の日記」の中で、朝晴れて障子を開け――薄き雲流れたるいと心地よし。われこの雲を日和雲と名づく。司馬遼太郎の坂の上の雲、宮沢賢治のうろこ雲、映画では成瀬巳喜男監督の遺作「乱れ雲」(主演:加山雄三、司葉子)が記憶に残っている。
雲にはいろいろな名前がついている。俗にいう天気が崩れるといううろこ雲、入道雲が出ると夕立になる、かなとこ雲は雷、雹を伴う等々……。雲はきれいで、命の源のような気がする。
地球誕生の頃から生命と深くかかわり、雲、すなわち水がなければ地球上に生命はなく、今の自分も存在しない。
雲は地上に影を投げかけ雨を降らせ、台風で地上に災害をもたらす。この雲の水滴はどこからきて、何処へ、永遠の寿命を持つのか。湧き水、湖水、樹木、生き物に生命を与え、人に活力を与えいつの間にか出ていき、また雲となって何処かへ去っていく。一滴の滴(しずく)が地球上の何処へでも旅することができる。人が見た雲が再び現れることはない。いつか私の命を育んだ一滴の水が雲になるだろうか。私は雲になってこの地上を見てみたい。
雲 女流詩人 金子みすゞ
私は雲になりたいな。
ふわりふわりと青空の
果てから果てを みんなみて、夜はお月さんと 鬼ごっこ。
それも飽きたら 雨になり
雷さんを 共につれ、おうちの池へ とびおりる。
新年明けましておめでとうございます。
昨年、福岡ソフトバンクホークスが日本シリーズを制し、プロ野球日本一になりました。
皆様はこの福岡ソフトバンクホークスの前身をご存じでしょうか。大阪に南海ホークスというパ・リーグの常勝球団がありました。この球団が現在のホークスの前身です。
難波にある大阪球場(現在のなんばパークス)を本拠地とし、鶴岡監督(親分と呼ばれていた)の指揮下、野村・杉浦のバッテリーで1959年、巨人相手に4連勝で日本一になった頃が、最盛期だったでしょうか。その頃から私は南海ホークスのファンでした。おそらく親父が南海ファンだったからでしょう。親父と大阪球場のナイター見物に行き、勝利の祝杯をミナミのバーで挙げたのは、子どもの頃の楽しい思い出でした。もちろんその頃の私は、ソフトドリンクですが。
その後、南海ホークスは親会社(南海電鉄)の経営不振とともに、成績も低迷するようになりました。関西では阪神タイガースの人気の陰に埋没し、とうとう大阪から追い出され福岡へ本拠地を移すことになったのです。1988年(昭和63年)が南海ホークス最後の年で、私はこの時、英国に留学中であり、昭和天皇の崩御と南海ホークス最後の時に日本に居なかったのを、大変悔やんでおります。
帰国後、在阪の阪神ファンに転身しようかと少し迷いましたが、やはりホークスファンを貫きました。球団はダイエー、ソフトバンクと変わり、低迷の時代から、王監督を迎え、トレードで秋山、工藤を獲得、大学野球のスター選手の小久保、井口、和田をジャイアンツとの競争で勝ち取り、地元九州出身の松中、城島、杉内、川崎等を育て、現在は工藤監督の下、本当に強い、魅力あるチームになりました。あまりにも強すぎて、今年はペナントレースが面白くないとの非難を浴び、関西では日本シリーズの途中でも、スポーツ新聞は阪神の金本新監督の話題ばかりでした。
苦難の歴史を乗り越え、関西では阪神、全国では巨人の人気に押されながらも、陰でがんばってきた球団がやっと花開いたのです。
今のホークスは魅力ある選手がたくさんいます、野手ではトリプルスリーの柳田、ファイトマンの松田、バットコントロール抜群の内川、中村(晃)、攻守・俊足の今宮、明石、投手では若手の武田、千賀、森、抜群の制球力の摂津――いかがですか。まだまだ、2軍にもスター候補選手がたくさんいます。私の夢は、V3からV?へ、と広がります。
大阪府医師会にも、私のようなホークスファンは居ませんか。阪神、巨人ファンの陰に隠れ、存在は薄いかもしれませんが、集まって今年も強いホークスを応援しようではありませんか。
新年明けましておめでとうございます。
一昨年より始めましたドローンによる防災訓練、浮き輪投下・救助ロープ投下などを続けていましたが、去年の首相官邸屋上墜落事件以後世間の目は厳しくなり、肩身は狭くなる一方です。
舞洲で開催された平成27年度大阪府・大阪市合同防災訓練に参加しました。消防局の許可を受け救助訓練を空撮し、その画像をリアルタイムに同じく訓練中の大阪府立急性期総合医療センターに転送する実験は成功しました。
しかし、大和川河川敷で上空からの要救助者への呼びかけ訓練中、警察に通報され職務質問を受けました。その警察官は私が警察医をしているところの署員です。その後、大和川河川事務所に防災訓練の許可を願い出たのですが、ラジコンは迷惑行為だと一くくりにされ、人命救助より苦情を優先したようで残念です。
しかしながら、同じ住吉区内の大阪市立大学の都市防災教育の教官が、杉本町キャンパスグラウンドの許可をとってもらう明るい光も出てきました。昨年12月の航空法改正による申請など色々ハードルがありましたが、年末に1年間の承認をもらいました。大災害時に役立てようと思います。
明けましておめでとうございます。
今年は、2025年問題に備え、「地域医療構想」の策定と「地域包括ケアシステム」の構築に取り組みます。また、4月には「診療報酬改定」があり、医療機関は立て続けの医療改革で忙しい年になりそうです。
2025年の医療提供体制を中心とした「地域医療構想」においては、国のガイドラインに準じて、昨年末から各都道府県で策定の準備に入りました。大阪府は独自に調査し、2025年の必要病床数等を示しましたが、当構想と類する結果が得られています。全国的には約20万床の過剰と報道されましたが、国のガイドラインによる推計値では、大阪府は約1万床不足という結果でした。病床機能別にみると、高度急性期と慢性期がごくわずかに不足となり、急性期が過剰で、回復期が大幅に不足していました。また、府内の二次医療圏8カ所ではいずれも病床不足という結果であり、機能別では急性期が過剰、回復期が不足でした。今後、二次医療圏の保健医療協議会で、急性期を減らして回復期を増やす会議が始まります。
病床のある医療機関は、毎年、病床機能報告書を提出していますが、急性期は減らず、回復期は増えないという状況です。急性期から回復期に移行すれば、1床50万円程度の補助の提案もありますが、誰も手を挙げないようです。
「なぜ急性期ではいけないのか」という問いへの明確な回答がないまま、診療報酬改定で急性期の要件を厳格にし、回復期への誘導を図るようです。それでも移行が不十分な場合は、知事の権限により、公的病院には命令で、民間病院には要請で移行させることが決まっています。しかし、本当に急性期病床を減らしてもよいのでしょうか。大阪府の75歳以上高齢者は2010年84万人ですが、2025年には153万人となり、15年間で約70万人増加すると推計されています。これは島根県や鳥取県の総人口を上回る数字です。高齢者にとって急性期医療は安心・安全の基本です。府民のことを考え、保健医療協議会等で議論していきたいと思います。
本年もご指導、ご鞭撻、よろしくお願い申し上げます。
大正区で診療にかかわって20年以上になります。病院に勤務していた頃に在宅医療に取り組み、その縁で平成10年に開業させていただきました。それから間もなくの12年4月に高齢化社会のための介護保険制度がスタートしました。26年からは医療・介護・福祉を軸に地域住民の健康を守り病気を予防し、暮らし慣れた地域で過ごせるように、地域包括ケアシステムが構築されつつあります。
ご近所のA先生は御年90歳、以前より、訪問看護師や介護士からは「ダンディーな先生」と聞き及んでいました。高齢なので医師会活動は控えられ診療に専念されています。
最近一緒に食事をさせていただきました。90歳とは思えぬ矍鑠としたふるまいと真摯に診療されている様子にただただ敬服するばかりでした。
A先生曰く、「在宅医療、在宅医療と言うてるけど、昔の医者はみんな往診していたし夜中でも患者を診た。それが当たり前やった」「超高齢社会を迎え在宅での看取りを増やすと言うてるけど、昔は家で死ぬのは普通で病院で亡くなるのが特別やった」「それが核家族化が進み、高齢者の一人暮らしが増えた結果、在宅での看取りが減ったのだから、その構造を変えないと在宅での看取りは増えないよ」「胃瘻なんてとんでもないな」「精神科に診療をお願いすることがあるが、クスリ多過ぎるのとちがうか」――。
先生の言葉に納得しながら、かかりつけ医と在宅専門医との違いを考えてみました。1.地域での結び付き、医師と患者の信頼関係、多職種との連携と相互の信頼関係に違いがあります。2.地域での結びつきの少ない在宅専門医の一部は、医療をビジネスと割り切っているように思えます。3.看取りは機械的に行うものではなく、特別な場合を除いては主治医・患者・家族・多職種相互の信頼関係の上に成り立つ尊厳ある行為です。4.臨終の際に「やすらかなお顔ですね」「よく頑張られましたね、ご家族もよくみられましたね」と言えるのはかかりつけ医です。
3年前の新春随想で「グリーンオリーブ」といったテーマで掲載していただきました。昨年10月31日に大阪府医師会で認知症をテーマにした「第37回大阪の医療を福祉を考える公開討論会」が開催され、毎日放送の古川圭子・上泉雄一両アナウンサー、阪本栄・府医理事、久堀保・府医広報委員会委員と檀上で意見を交わしました。終了後の雑談の中で、「認知症予防には地中海料理が一番効果的である。特にオリーブオイルが使われるから良いのでは」という話になりました。そこで、オリーブPART2として続編を書いてみたいと思います。
一昨年には木の成長とともに、約10kgの収穫がありましたが、昨年は4kgで、収穫量は隔年ごとに差があるようです。ほとんどを塩分の少ない新漬けにして、残りを塩分量を増やして保存の効くようにしています。
オリーブオイルは、ポリフェノールの抗酸化作用と、成分の70%を占めるオレイン酸の血液をサラサラにする働きとLDLコレステロールの低下および若干抗酸化作用があります。生活習慣病の予防には最適で、認知症の予防効果も十分にあります。地中海料理に赤ワインを飲めば更に効果が上がります。他に美容や便秘解消にも有効です。学会でもエキストラバージンオイルがアルツハイマー型認知症に有効であるといった報告がされています。
自宅での作り方は、オリーブの実をまず水洗いし、水気をきってポリ袋に入れ約60分よく揉みつぶすと黄色いオイルが浮いてきます。つぶしたオリーブをろ過し、暖かいところに置いておくとだんだん2層に分かれてきます。上澄みがオリーブオイルです。これがバージンオイルで、酸度の最も低いのがエキストラバージンオイルとなります。本格的には石臼や遠心分離機が必要です。
保存の注意点は、1.光を通さない容器(ダークグリーンかダークブラウン)に入れること2.熱によりポリフェノールが分解されるので涼しくて暗いところに保存すること3.加熱でもポリフェノールが分解され、味も落ちるので、強火で調理しないこと――製造後の賞味期限は24カ月ですが、開栓後の劣化は早いので開けたら早く使い切ることが大切です。
2013年の新春随想で書いた、ゴルフに行く度訪れる御殿場のステーキ屋。あの時、修業中の息子さんが帰ってきてうれしそうだった主人。しかし、息子さんの姿が見えないので尋ねると、今は箱根のフレンチレストランで働いているとのこと。主人が元気で息子さんと考え方が違うことが、理由のようである。主人は1970年代の富士スピードウェイ創世記に知る人ぞ知る有名レーサー。引退してステーキハウスを営んでいるのだが、最近レーサーとして復帰。「まだ若いもんに負けません」と昨年は総合1位。気付けば最近のコース料理、明らかに息子さん考案の料理が出る。親父から息子さんへの移行がいずれスムーズにいくと思う。
私が年2回ほど行く湯布院の宿がある。湯布院では老舗御三家のひとつ。昨年1月に行き宿に入るとフロントがすべて若い人になり、一見、雰囲気が変わったことが分かった。いつも通り夕食を運んでくれたが、都会のレストラン風料理で、今までと違い物足りなく思った。帰りに駅まで送迎してくれる方に宿の状況を聞いた。すると、経営者が息子さん夫婦に代わり、新しいおかみ(東京出身)の意向にあわず、古い人(料理長も)達は辞め、古い常連客とトラブルも。旅行評論家の意見ばかり聞いて地元の雰囲気が無くなったとぼやいていた。私も料理の楽しみを裏切られたので、がっかり。
その年の10月下旬に不安を抱えながら湯布院へ。駅に迎えに来てくれ、いつもの風情のある玄関から入ると、古風だったフロントがシンプルな感じに模様替え。若い人達も落ち着いた感じ。食事も以前の感じになり、いつも嫁が特別に頼む地鶏のスープもいるかも聞いてくれるなど、十分堪能することができた。例年より1週間早い紅葉も見ることができた。今回は満足、「また来るぞ」と思った。
医師の世界も継承は大きな問題である。幾多の困難を乗り越え最後は若い世代にがんばってほしいと願うだけである。希望のある医療の世界であってほしい。
新年あけましておめでとうございます。
東成の奈良街道に沿う商店街に、町の人が井戸端会議の溜まり場を作り、押し車に買い物を詰め込んだ高齢者が、ここで馴染みになった人と日常の話をしています。昔は、長屋続きで隣近所の町びとの生活があり、立ち話から互いの情報のやり取りでお互いを助け合っていました。人の往来も盛んな通りに互いを按ずる所が要るはずと高齢者の交流拠点を「愛郷心」との気持ちを込めて、平成22年に「新道パトリ」を開設し6年が経ちました。買い物の途中で休憩に立ち寄る場所に、町内会の人や介護士・看護師・医師が出入りし区民と交流することで、区民の日常が把握できるとともに、災害時や防犯にも役立つ「介護・住まい・防災ネットワーク」を立ち上げ、町内会や区内の横断的情報を共有する場として、地域に根付きつつあります。
しかし、超高齢者が溢れるように増え、相反するように若い人の姿が消えていく町では医療・福祉の人材や財政には限りが見えています。これからの在宅や病院での医療には、「いい(良い)加減に生きたい」と思う区民に対し、お互い「これでいい」と了解の中で、医療の限りを尽くさないで在宅療養が「隣にいますよ」と、寄り添う多職種のケアがあり、区民に安心して住まい続けるエイジング・プレイスとしての町づくりが大事になるのではないかと思います。新年を迎えパトリは、地域包括ケアのシステムの一環として、メディカルカフェや町の保健室として医歯薬の協力者と医療や看護・介護のお話や相談事などを積極的に進めきていたいと思います。そのためにも、パトリの灯を消さないように皆様のご協力をどうぞよろしくお願い申し上げます。
新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、最近外耳炎の患者さんを本当に多く診ます。性別問わず、年齢も子どもから高齢の方まで幅広く、また程度も様々ですが。
つい先日も、ひどい耳鳴りとめまいを主訴に来院した患者さんが「お風呂あがりには毎日、綿棒で耳の奥まで掃除します」と得意げに話します。診ると外耳道の皮膚はただれて真っ赤に腫れ上がり、所々に浸出液までみられます。
そう、診断は耳のいじりすぎによる外耳炎、外耳道湿疹です。外耳道の奥には鼓膜があり、その鼓膜の中心部から皮膚上皮が外へ外へと流れているため、鼓膜周辺には自浄作用があって触らなくていいものを掃除しようとして、自身ではきれいにしているつもりが自傷行為になるという、まさに「過ぎたるは猶及ばざるが如し」です。
11月の大阪の知事・市長ダブル選挙でも同じようなことがありました。昨年5月17日の住民投票で否決され消滅したはずの大阪市廃止分割法案、いわゆる大阪都構想です。選挙戦でまた「都構想、都構想」って言いすぎやろ、イシンさん。府市統合とか大阪副首都とか名前だけすり替えたかって同じやろ。
ホントに今年からは真面目に住民サービスの充実に向けて話し合い、まともな政治を実行していただきたいと思います。
府市統合、都構想の話はもうたくさん、です。