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医師・医療関係者のみなさまへ

時事

医薬分業による医療費抑制

府医ニュース

2015年9月30日 第2761号

互いの信頼関係を高めることが肝要

 最近の医療の流れは、平成26年4月を境に少しずつ変わってきている。国民医療費は日々増額し、診療報酬は実質マイナス改定であるのに、医師会には妙な活気がみなぎってきた。これに呼応してか、政府側も岩盤やドリルという過激な言動が少なくなり、世間の医師会への強硬論が少し弱まってきた気がする。今春に医薬分業が再び問題となった。かつて反対を強く唱えた日本医師会の論調も、「完全医薬分業には賛成しかねるが、かといって高度に分化した投薬管理は、やはり薬剤師の力を借りなければやっていけない」という柔軟姿勢に変化している。診療報酬がマイナスにもかかわらずである。変化が出てきたのは26年春、厚生労働省の政策が医療費抑制に有効でない現実の中で、起死回生の地域包括ケアシステムを政策全面に打ち出してからである。
 医薬分業のそもそもの理由は、薬漬け診療によって肥大化した薬剤費を、分業体制で医師と薬剤師を拮抗させることで無駄な投薬を牽制させる「上から目線」の試みであった。しかし、診療報酬上での薬価への関与が少なくなった医師は、総量を監視するタガが外れ、制限数まで処方するようになった。各科からの多くの処方の結果、20~30種類の服薬をする患者もいる。特に悪気はなくとも患者の治療のことだけを考えれば、保険側から指導がある限度までの処方となったのである。また、その処方内容にも取捨選択がされなくなり、二者択一ではなく両者共存という結果になった。薬価の実感がなければ新薬採用への抵抗感もなくなる。
 我々は患者が身銭を切って高価な薬の代金を支払う時に、空になった財布の中を見る悲痛な顔を直視することはない。高額の新薬とてんこ盛りの処方は、結果的に国民薬価を押し上げるが、薬剤費を扱うのは薬局窓口である。しかし、ここでも患者との対面時、処方したのは医師だからと、責任の一部は転嫁される。袋いっぱいの薬を持ち帰る患者を見れば、総量規制に少しは役立つものだ。
 更に、政府主導のジェネリック医薬品への強制誘導は、処方薬のジェネリックへの変更が調剤薬局で否応なしに行われ、変更できない先発品のブランドイメージを一層高めることになった。このような概念の強制は専門家としてのプライドを傷つけ、無意識にジェネリック忌避へと向かう。また、薬品名の混乱もこの傾向を加速させる。患者が要求できる範囲であればやむを得ないが、ジェネリックの範囲が及ばない領域では先発品のブランド力は圧倒的だ。後発品へと替えられた瞬間にジェネリック処方に執着がなくなり、同じ領域であれば新薬に入れ替えようとする力が働く。実際、政府の医療費推測は、ある時期投与されていた処方配分をジェネリックに換算した仮定法で計算されたものである。世の中がすべて論理的に動くのであれば、薬価の抑制も当然できるはずである。しかし、結果的にそのように働かなかったことは、厚労省が考えた論理に、目に見えない第3の力が働いたとしか思えないのである。
 本質的ではない政策で、一刀両断に医療費を下げようという発想は、心理的逆行作用を呼び起こし、思惑どおりに事が運ばないことがある。効果が全くないとは言い切れないが、医薬分業やジェネリックは、単独で医療費削減を解決する課題ではない。むしろ信頼関係を強固にすることにより、お互いがんじがらめになりつつ処方に強制力を発揮していくような、医療の世界での常套手段を駆使するべきである。そのためには、責任を持って地域包括ケアの中での互いの位置付けを話し合い、その妥協案を見出していくことに究極的な解決策があるのではなかろうか。医薬分業への日医の判断は、将来の方向性に希望を託したのではないかと思われる。(晴)