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時事

拡大するエボラ出血熱

府医ニュース

2014年11月19日 第2730号

まずは標準的な感染予防策を徹底

 エボラが人類に挑んできた。西アフリカで爆発的に患者数が増えている状況からみて、最長21日間という長い潜伏期と、初期は感冒に似た症状を示すことから、ある日ふらりと患者が受診する可能性を秘めている。
 このウイルスが想像を絶する感染力を持った過程には、我々が20世紀まで知らなかった進化の歴史が背景にある。氷河期は300万年前から、4~10万年周期で繰り返され、アフリカ大陸にも押し寄せた。氷河を免れた熱帯雨林地帯では生物の濃縮が起こり、レフジュアと呼ばれる生物多様性に至った。レフジュアは、1万年前より赤道直下のアフリカへ拡大。コンゴを中心とするサンガ川流域は、霊長類でさえ18種類も生息し、膨大な規模での生態学的・進化学的諸過程の継続を可能にした人跡未踏の地があり、世界遺産に指定されている。350万年前、レフジュアの東(現タンザニア)で人類が発祥し、その後、世界に拡大した説も想像に値する。
 しかし、この生物学的多様性はウイルスも同様だった。わずか数十年の間に、HIVとともにエボラという新種が出現したのは、アフリカ熱帯雨林のパンドラの箱を開けるまで奥深く進入した人類の過ちなのか。1972年、エボラ出血熱が出現したが、その後は散発していた。2013年12月、4千㌔西のギニア南部のゲケドゥで、2歳幼児が発症し、姉、母、祖母が1カ月間に死亡。そして、過去にない規模に広がった。この家族はコウモリ猟に従事していた。ギニアは労働人口の8割は農業に従事する。ボーキサイトの採掘が国の経済を支える一方、都市部では食料増産が追いつかず、貧困層は安価なブッシュミート(野生動物の肉)を食べていた。農耕民は副業として狩猟も行っていたが、政治的不安定による経済悪化がエボラ禍に拍車をかけたのである。
 アフリカの民族多様性が、流行の最大原因と思われる。民族間闘争による政治的混乱は教育制度の弱体化につながった。今回、感染の中心であるリベリア、シエラレオネ、ギニアでは、識字率が3~5割であり、感染拡大を招いたと考えられる。
 現エボラウイルスは、遺伝子解析により1976年コンゴで発生した同種と考えられている。その媒介は食用コウモリが推定されており、40年余りをかけ、4千㌔の熱帯雨林を移動してきた。
 WHOは10月17日、セネガル、ナイジェリアに飛び火したエボラ出血熱の終息宣言をした。この意味は大きく、物理学的封じ込めのためにはウイルスの性格を熟知し、感染を回避するよう努力することが最善の策である。ウイルスは一本鎖RNAではあるが比較的安定している。感染後アポプトーシスや細胞接着を阻害するウイルスタンパクが細胞表面に発現するため、ウイルスは爆発的に増殖し、全身組織壊死を引き起こす。肝臓崩壊によるDICと、毛細血管からの出血が名前の由来である。
 現在、エボラウイルスの性質をよくまとめているのは、カナダ保健省のEbolavirus:Pathogen Safety Data Sheetである。一般的な消毒は次亜塩素酸(ブリーチ)でよい。ウイルス生存実験では、エアロゾルによる感染実験では、わずか1~10個のウイルスで感染が成立する。室温15時間放置でも4割が生き残り、体液中では乾燥しても数週間生きた。一般的には接触感染とされているが、飛沫感染がないとも断定できない。西アフリカでは、患者を運んだタクシーを媒介とした感染拡大の説がある。
 このように取り付く島がないウイルスに見えるが、標準予防策や保存的療法による全身状態改善は、初期感染ウイルス量の抑制や感染後の抗体誘導をしていることが、先進国で隔離された患者の経過から推測される。発熱患者には、流行国に滞在歴がなかったかどうか、滞在歴があれば採血はせず、迅速に保健所に連絡する処置が必要である。今回の件で忘れがちになる死亡者数の多いインフルエンザ対策も兼ね、日頃から一般外来でのマスク着用と入念な手洗いを忘れないようにしたい。(晴)