
TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ
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ミミズクの小窓 Returns
府医ニュース
2014年9月24日 第2725号
日本語のすごさは、ひらがな、カタカナ、漢字を適材適所に用いて「物・事・心」を余すことなく表現し得るところだろう。「テレビ」「ラジオ」をひらがなや漢字で書く人はない。「生物学のセントラル・ドグマ」を「中心原理」とは言わない。一方、いくら気障でも「草食系男子」を「ハービヴォラス・ボーイズ」という人もいない。「リオのカーニバル」を「リオの肉食系祝祭」と言うようなものである。また「うたかた」は「泡沫」ではいまいちだし、「バブル」は論外であるが、「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」という言い方はミミズク好みである。うたかた、春の妖精、福寿草、小林幸子…と連想が次々と…「頭、大丈夫か?」と心配される方もあると思うので本題に入る。
だが、不必要にカタカナを使うときには、何か企みがある。たちの悪いのは「本質をごまかす」という意図がある時だ。去る8月23日、日本病院会常任理事会で厚生労働省幹部が地域医療ビジョンや医療介護連携の考え方を示した。席上、厚労省医政局医師確保等地域医療対策室長(この長い肩書き、当人も覚えるのが大変だろう)は「マーケット・リサーチを実施して、将来推計を加味すれば、サプライ・サイドの縮小もある」と述べ、地域の衰退につながる可能性を指摘されると「ナショナル・ミニマムは確保する」ときた。また、医師の地域偏在については医学部定員の地域枠拡大での対応を示唆した上で、「医師のプロフェッショナル・オートノミーでは、解決されてこなかった経緯がある」と指摘したと言う。
翻訳すれば「医療もマーケットだから市場調査して何がなんでも医療提供は縮小して、国としては最低限のことしかしないからね~医師偏在をがたがた言うのなら地域枠定員を増やすけど、医師配置は医師に任せてもだめでしょう~」となる。
要するに漢字だときつくなる印象をカタカナでごまかしている。「けっ、古い手を使いおって」と切り捨てたいところだが、油断はできない。それなりに有効だからだ。現に厚労省には平成21年12月発足の「ナショナル・ミニマム研究会」なるものも存在するのだ。御用学者や評論家たちは「保険医療はナショナル・ミニマムで」と大合唱するに違いない。
医療は共同体があってこそ存在意義がある。我々医師の思い描く共同体はゲマインシャフトであり、厚労省のそれはゲゼルシャフトである。両者の違いは前者には「人と心の絆」があり、後者には「市場原理」しかない、ということだ。ミミズクは真面目な時にはドイツ語由来のカタカナを使うのだ。