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府医ニュース
2026年10月21日 第3159号
なんだ、新手のドラ息子のことかと思いきや、「ドパガキ」とは、一瞬の退屈にも我慢できずにSNSなどから強い刺激を追い求める「ドパミン中毒のガキ」を略した造語とのことらしい。医学的見解はさておき、スマホでショート動画を見ることがやめられず、気が付けば数時間を費やしてしまうという。
退屈な世を面白くしたいという願いなら、現代に限ったことではない。「おもしろきこともなき世をおもしろく」とは江戸時代末期を生きた高杉晋作の辞世の句と伝わる。あの激動の時代にあってさえ、おもしろきこともなき、とは見事なドパガキぶりだが、世の中に何が起きているかと、その人の心に何が映っているかは、必ずしも同じではない。
「祇園精舎の鐘の声」は同じ鐘の音でも、聞く者の心の状態によって「諸行無常」に響く。置かれた状況によって世界の見え方は変わるのだ。それほど移ろう人間を、肩書きや学歴、外見、資産といった「情報」から、その人が何者で、どう振る舞うかまで分かったことにしようとする。
しかしながら、人を知る時間まで惜しみ、すぐに分かったことにしてしまえば、思いがけない一面に出会う面白さも少なかろう。果たして世界が退屈なのか。それとも、世界を短い情報にして、すぐ分かったことにしてしまう見方が、退屈を生むのか。新しいことを学ぶと、見慣れた世界も違って見える。泳ぎ方を学んだ子どもには、それまで怖かった海が遊べる場所になる。次々に画面を送る指も、刺激だけでなく、自分の知らない世界を開いてくれる手がかりを探しているのかもしれない。
労咳に侵され死を間近にした高杉晋作には世界がどう見えていたのか。上の句には、晋作を看病した尼僧・野村望東尼が、「すみなすものは心なりけり」と下の句を添えたと伝えられている。
次の刺激を探すために日々何時間も費やす前に、目の前にあるものを見直してみることもよかろう。世の中退屈だと嘆くのではなく、心の持ちようを変えることで面白さは変わるものだとも、教えられているように思える。(隆)