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時の話題

少子高齢社会①

府医ニュース

2023年6月21日 第3039号

我が国の人口推移と少子高齢社会への歩み

 日本の人口は、1900年の4384万人(壬申戸籍)が急増し、2008年に1億2808万人でピーク、その後漸減している。2050年の人口は、ピーク時から「老年人口(65歳以上)」1200万人増、「生産年齢人口(15~64歳)」3500万人減、「年少人口(0~歳14歳)」900万人減、合計約3300万人減の9515万人と推計されている。
 2100年の人口は中位推計で4771万人(高齢化率40.6%)とされる。現在は、人口のジェットコースターの頂上から下り始めたところにいる。合計特殊出生率(以下出生率)が2.0を初めて切るのは1975年(1.91)で以後下がり続けている。女性の平均出産年齢が30.7歳(2020年厚生労働省調査)であることから、人口のピークが04年でそれ以降の漸減も説明できる。出生数の減少は「年少人口」「生産年齢人口」そして「老年人口」の順に減少する。こうして少子高齢社会となり、人口減少が続く。人口の増減は、出生数、死亡数、流入数、流出数のバランスによるが、現在日本の移民政策はないので、主に出生数で決まる。
 1938年に医療、保健、社会保障を所管する厚生省が設立された。支那事変後、日本は、国力増強のため41年に「産めよ、殖やせよ」のスローガンの下、「1億人を目標」として出生奨励策を進めた。その結果として「第一次ベビーブーム」が47~49年に到来。第二次世界大戦で大きな人的損失はあったが、それでも45年当時の人口は7200万人と世界的にも最大級であった。戦後日本が復興できた大きな要因と考える。74年、出生率がすでに人口置換水準(2.10)であったが、戦時中の反省から人口問題審議会の「人口白書」は「出生抑制の必要性」であった。その背景には、第二次ベビーブームの到来、オイルショックによる経済低迷、急速に広まった人口増加に対する懸念があった。
 その後70年代後半から80年代にかけて出生率は下がり続けた。その背景は、変わらない「出生抑制」の動きと女性の社会進出による未婚率の上昇、あるいは晩婚・晩産化があった。80年の人口白書(出生率1.75)は「一応静観が許される」とし、出生率の低下は「出生のタイミングの遅れ」による一時的なものとされた。
 90年代後半から2010年代前半までは「第三次ベビーブーム」の到来が期待されたが、100数万人程度と期待外れであった。この時期リーマンショックによる金融システム不安、就職氷河期に見舞われ、一層の未婚率上昇、晩婚化が進んだ。89年に出生率が1.57まで低下し(いわゆる1.57ショック)、本格的な少子化対策に乗り出した。しかし、種々の対策にもかかわらず出生率は下がり続け、最近では新型コロナウイルス感染症の影響もあり2022年は1.26となり、出生数は7年連続減の77万人となった。沖縄1.70、宮崎1.63、鳥取1.60が上位で、下位は東京1.04、宮城1.09、北海道1.12の出生率であった。
 少子高齢化がもたらす社会への影響を次回に考える。