TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ

新春鼎談

忽那 賢志氏(大阪大学大学院医学系研究科感染制御学教授)・野嶋紗己子氏(MBSアナウンサー)を迎えて

府医ニュース

2022年1月5日 第2987号

忽那(くつな) 賢志(さとし)
 大阪大学大学院医学系研究科感染制御学教授

北九州市出身。昭和53年生まれ。平成16年山口大学医学部卒業。同大先進救急医療センター、奈良県立医科大学感染症センター医員、市立奈良病院感染症科医長、国立国際医療研究センター国際感染症対策室医長を経て、令和3年から現職。新型コロナウイルス感染症における日本国政府広報官の役割を果たす。専門は新興再興感染症。趣味は寺院巡りなど。大学生の頃に「くつ王」の名でブログを運営。現在もツイッターなどSNSで情報を発信する。(写真は別日に忽那教授室で撮影)


野嶋(のじま) 紗己子(さきこ) 毎日放送(MBS)アナウンサー

北九州市出身。平成8年生まれ。31年慶應義塾大学法学部卒業。毎日放送(MBS)入社。1年目からテレビ・ラジオ番組ともに出演機会が多く、令和3年から、主に情報番組「よんチャンTV」で月~木曜日のスタジオアシスタントを務める。その他、『ばんぱく宣言・われら21世紀少年団』『こども音楽コンクール』などを担当。特技は空手(組手で九州大会優勝・型で全国大会5位)、英会話(高校1年時に米国留学)。趣味は洋楽鑑賞で歌詞の和訳も行う。


茂松(しげまつ) 茂人(しげと) 大阪府医師会長

大阪市出身。昭和27年生まれ。53年大阪医科大学(現大阪医科薬科大学)卒業。同大整形外科助手、阪本蒼生会蒼生病院整形外科部長を経て、平成2年に茨木市に茂松整形外科を開設。13年8月~20年3月まで大阪府医師会理事、22年4月~28年6月まで府医副会長を務め、28年6月23日に府医会長に就任。27年春に藍綬褒章を受章。趣味はドライブ、スキー、スポーツ観戦。大学時代にはバレーボール部の主将でエースアタッカーを務めた。

コロナ報道の現場から見た医療・医師会

 100年に一度の危機とされる新型コロナウイルス感染症の流行。現在も新たな変異株オミクロン株の出現により欧米を中心に感染が更に拡大し、予断を許さない。この状況下でもワクチンの効果により、死亡率は以前と比べて格段に低下した。昨年12月からはワクチンの追加接種が始まり、感染初期の投与で重症化を防ぐ経口薬も導入され、まさにウィズコロナ時代を迎えようとしている。
 今回の新春特集では、政府広報のCMをはじめ、報道番組での出演も多く全国的に有名な忽那賢志・大阪大学大学院医学系研究科感染制御学教授、そして、「よんちゃんTV」をはじめテレビ・ラジオ番組で大活躍中の野嶋紗己子・MBSアナウンサーを招待。今後も大阪府民の命と健康を守るために協力をお願いするお二人と茂松会長との鼎談を実施した。コロナ禍の中で医療・医師会がどう映っているのか、またこれから取り組むべき方向について意見を伺った(進行=阪本栄・府医理事)。

年末年始の過ごし方

茂松 明けましておめでとうございます。一昨年からのコロナ禍により、様々な報道番組への出演や取材を受け、新型コロナへの対応や行動自粛などの協力を求めて参りました。医師会の活動が、府民やメディアからどう捉えられているのかをお伺いし、会員に伝えたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
阪本 明けましておめでとうございます。司会を務めます府医広報担当理事の阪本です。本日は、忌憚のないご意見をお伺いできればと思います。
忽那 明けましておめでとうございます。本日は東京出張のためウェブで失礼します。縁があって7月に東京から大阪に参りました。第6波を想定して、府医の先生方、そしてメディア関係者の皆さんと一緒に、府民への啓発、医療体制の整備などを進めていきたく思います。よろしくお願いします。
野嶋 明けましておめでとうございます。私は東京の大学を卒業し大阪に来て3年目になります。昨年4月から、主にテレビ番組で情報を伝えるお仕事をしています。医師会・医療従事者の皆さんのお話を伺う中で、「自分には今、報道の立場で何ができるのか」を考えさせられた1年でした。
阪本 まず、府医ニュース新春号恒例の質問ですが、年末年始の過ごし方や、ご家庭のお雑煮について教えてください。
忽那 去年とは違った年末年始が過ごせると思います。お雑煮は、同じ北九州市出身の野嶋さんの方が詳しいかもしれません。
野嶋 祖母が関西出身なので、関西風のおだしを取って、具はかつお菜、かまぼこ、里芋、それと丸餅は焼かずに煮て食べていました。博多煮も有名で、あごだしを取る家庭も結構あります。
阪本 年末年始はいかがですか。
野嶋 年末は家族でゆっくり過ごして、年始はお墓参りから始まります。あと、初詣の代わりに「福岡の三社参り」といって、3つの神社を回る風習があります。
忽那 それは全国的な風習かと思っていたんですが。
野嶋 福岡を基点として、九州を中心にその文化があるようです。

学生時代の活動が今の仕事につながる

阪本 大学時代はどのような学生生活を送られていましたか。
忽那 部活動は卓球をやっていました。今の医学生は英会話や海外留学、あるいは研究など志の高い人が多い。私は本当に普通にだらだらした典型的な学生生活で、飲み会をよくしていました(笑)。今はコロナ禍で難しいですが、学生時代のコミュニケーション、サークル活動もすごく大事です。
野嶋 4歳頃から大学2年生までは、ほぼ毎日空手漬けの生活でした。大学の3、4年目で学業にシフトし、特に日本の独占禁止法やアメリカの反トラスト法、M&Aなどの国際経済法を勉強しました。すごく学校が好きだったので、ティーチングアシスタントという秘書的な業務などもしていました。飲み会にも行かないし、面白みがない学生でした。
茂松 英会話もされるんですよね。
野嶋 家の中では英語で話すというちょっと謎の家でした(笑)。学生時代は洋楽を自分で和訳するのが好きで、そのアプリも開発したんです。
阪本 空手はお父様の影響があったそうですね。
野嶋 父が師匠です。3人姉妹全員やっておりました。一応、「組手」では九州で1位、「型」では全国で5位までなりました。過去の栄光ですが。
茂松 私は大学時代の6年間、バレーボールを一生懸命やりました。冬はスキーです。整形外科なので仕事も兼ねてスキー場の診療所にも行きました。
阪本 運動漬けの毎日ですね。
茂松 医師会の活動はクラブ活動に似ています。先輩を仰ぎながらついていき、年数を重ねてリーダーになり、みんなで一緒に統率していく。学生時代の活動が今の自分の仕事にもつながっています。
野嶋 医学部の4年生以降はすごく忙しいイメージがありますが。
茂松 我々の時代はクラブ活動もできました。今は医学の知識が進み、それどころではないようです。
忽那 そうですね。私の頃までは余裕のある学生生活が送れたんですが、今は勉強する量も、やる気のある学生さんも多いですね。

人との関わりが人生を変える

阪本 次に、今のお仕事を選んだ動機や現在の状況についてお伺いします。
忽那 私が10歳の時に父が白血病で亡くなり、「血液疾患を治せる医者になりたい」というのが自分のモチベーションでした。でも、初期研修1年目に現場を経験し、感染症に悩んでいる人が多いことを知ったんです。また、指導医の先生や、感染症で有名な青木眞先生(現感染症コンサルタント)の講演の影響もあり、「感染症という学問はこんなに奥が深くて面白いんだな」と思い、今に至ります。
阪本 最初に関わった先生とのご縁というのは大きいですね。
忽那 やっぱり指導医の影響は大きいです。
阪本 野嶋さんのお仕事に就いた動機をお聞かせください。
野嶋 就職活動の時は、いろいろな業界を受けました。その時の自分の軸は、人としっかりとした関わりが持てることでした。それと、「私を必要としてくれる会社」を見つけたいと思い就職活動をしていました。その中で「野嶋さんが欲しい」と言ってくれたのが今の会社(MBS)だったんです。本当にご縁で私は大阪にいます。
阪本 実際にアナウンサーのお仕事はどうですか。
野嶋 人とのつながりは毎日感じます。今日のように普段なら私が絶対知り得なかった世界を教えてくださる方々にたくさんお会いできますし、本当に幸せな毎日だなと思いながら過ごしています。ただ、学生から急にアナウンサーとして情報を伝える立場になったので、「これで大丈夫なのか」といつも心配です。
茂松 アナウンサーは本当に責任のある仕事ですね。

新型コロナで仕事が激変 葛藤の中で進んだ

阪本 ここから本題の方に移らせていただきます。新型コロナが流行しほぼ2年になります。特に忽那先生は従来の仕事が激変したと思います。
忽那 以前は国立国際医療研究センターで新興感染症対策の責任者でした。「体制整備や仕組みづくり」をする立場です。ただ、これほどの規模の感染症が任期中に起こるとは想定していなかったです。
阪本 パンデミックが起こった時は大変だったと思います。
忽那 新興感染症を研究し、準備をしてきたつもりですが、日常がガラリと変わりました。
阪本 野嶋さんは、新型コロナが流行しだしたのは入社してすぐですね。
野嶋 入社1年目の冬でした。ちょうどその2月に仕事でフランスに行ったんです。アジア人の私が行くと、いろんな目を向けられ、ジェスチャーをされました。新型コロナが始まった時は、未知のもの過ぎて、専門家の皆さんに手当たり次第に電話をしていました。
阪本 私生活も変わりましたか。
野嶋 我々報道も皆さんにステイホームをお願いしている立場なので、より模範的な行動を求められる中でプライベートは無かったです。また、経済のことや飲食店の皆さんの声も届けないといけないという葛藤もずっとあった1年半でした。でも、もっと強いウイルスが現れる可能性もあるんですね。
茂松 グローバル化でいろいろなウイルスが広がる可能性はあります。スペイン風邪が1918年に流行して、新型コロナはそれ以来ですね。
野嶋 スペイン風邪もインフルエンザになり、新型コロナの取り扱いもそうなるんでしょうか。
忽那 そうなると思います。第4波までは全国の感染者のうち2%の方が亡くなりました。第5波ではワクチンの効果で、大阪府内だと0・3%まで下がり、新型コロナを克服しつつあります。長期的流行を繰り返しつつ、インフルエンザなどに近づくイメージを持っています。
野嶋 少しほっとしました。
茂松 経口の抗ウイルス薬も入ってきます。また、ワクチンの追加接種もできるだけ早く高齢者の方に行い、クラスターを起こさないようにしたいです。

医師会と行政、メディアはもっと密に連携を

阪本 今回の新型コロナのパンデミックが起こってからの「医師会に対しての印象や期待」など、それぞれのお立場からお聞かせください。
忽那 東京都医師会にも大変お世話になりました。同医師会長は結構怖い顔をしていらっしゃいますが、茂松会長は温厚な感じでいいなと大阪に来て思っています(笑)。経口薬が入ると、今後は外来診療、開業医の先生方が重要な鍵になります。
茂松 そう思い、第6波に備えて抗体カクテル療法の点滴治療や、経口薬を処方できる体制を整えているところです。我々医師会の仕事は、まずは国民の健康を守るということです。そう思ってテレビや新聞などのメディアでも発言するのですが、ツイッターなどで非難を浴びることも多くあります。
阪本 医師会の活動は見えにくいのですが、実際は様々な対応を行っています。報道の立場から医師会に対しての印象はいかがですか。
野嶋 我々報道も医療に関しては全くの素人で、「医療逼迫です」や「ステイホームしてください」という言葉だけでは伝わらない。その中で、茂松会長をはじめ皆さんがスタジオに来て啓発をしてくださることで伝わるものがありました。
阪本 報道する側の難しさはありますか。
野嶋 報道の中で、「医師会はこう言っています」、でも「飲食店の皆さんや経済を回したい人達はこう言っています」と、伝えなければならない葛藤があります。今後、医師会と行政、メディアはもっと密に連携していく必要があると思いました。
茂松 私も府民にしっかり情報を伝えるには、メディアとの連携が大事だと痛感しました。
野嶋 「医療逼迫」も、実際の映像を見ないと分かりませんでした。カメラを通じたレッドゾーンの映像の提供により行動変容につながったところもあります。
茂松 行政とのつながりも大事です。先日の府医主催の公開討論会で吉村洋文知事と一緒に出演しましたが、これは「医師会と行政が連携している」ことを府民にアピールする意味もありました。もっと府民に理解してもらえる機会を作っていきたい。
野嶋 活動の根拠「こういう状況だから、今私たちはこういうプランを出しているんです」という考えがもっと府民に伝わればいいと思います。我々ももっと密に連携して情報を前面に出していきたいです。
茂松 新型コロナの影響で職を失って自殺に至る方が多いことも問題視しています。経済を動かすことと、感染対策を天秤にかけるのは非常に難しいです。感染者を減らすことを医療側としては優先してしまいますが、反省もあります。

状況に合わせ臨機応変に対応することが重要

野嶋 忽那先生の座右の銘「臨機応変」を書いた色紙を見ました。まさにこのコロナ禍では「臨機応変」が必要だと改めて感じました。
阪本 茂松会長と吉村知事が一緒にイベントに出演することや共同記者会見を開くことは、実はほかの都道府県ではあまりないことです。
忽那 ないですね。大阪はすごいなと思いました。
阪本 茂松会長の考えです。行政との連携は重要だと。そして、今後はメディアとも密に連携し、協力関係を築いていきたいです。
野嶋 我々報道からも、ぜひお願いします。
茂松 よろしくお願いします。
阪本 茂松会長のテレビ出演を見られて、野嶋さんからプロとしてアドバイスをいただけますか。
野嶋 アナウンサー室で、「今度、茂松会長と忽那教授と鼎談するんです」と話をしたら、「あの2人は話がうまいからなぁ」と言われました。先日も茂松会長にラジオ番組に出演いただいた際には、アドリブにもアナウンサー顔負けの対応で逆に学びました。
茂松 そう言ってくださるとありがたいです。
野嶋 忽那先生もテレビ出演に本当に慣れておられます。また、同じ北九州市ご出身とお聞きし感動しています。
忽那 ありがとうございます。
茂松 忽那先生のような感染症の専門の先生は少ないんです。先生には本当に的確なお教えをいただき、いろいろな事業にもご協力いただいています。よくぞ大阪に来てくださいました。
忽那 こちらこそ。大阪では充実した生活を過ごしております。

コロナ禍での経験を生かした成長の年に

阪本 では次に、今後のウィズコロナ時代の生活スタイルなど、忽那先生お教えください。
忽那 新型コロナの根絶は不可能だと思います。海外との人の往来も再開して入国制限も緩和されていきますから、海外からウイルスが侵入することは続きます。動物にも感染しますので、地球上から無くなることは難しい。ウィズコロナで急に緩め過ぎないように、少しずつ元の生活に戻していくことを目指すべきだと思います。
茂松 「新型コロナを2類から5類へ変更すべき」という考えがよく言われています。しかし、5類になると治療費の保険負担分は患者が払うことになります。
忽那 おっしゃるとおり。ただ、5類相当にする場合でも、ある程度裁量というか、治療費は国負担で行うことも設定できると聞いたことがあります。感染者数が第6波以降にどんどん増えると、軽症・重症に関わらず保健所の業務は逼迫しますので、どこかで5類相当に変更する必要はあります。
茂松 同じ意見です。
阪本 最後に、今後の抱負、あるいは医師会に対する期待や要望がありましたらお願いします。
忽那 今後も感染対策や治療の開発などに携わっていきたい。更には、新しい感染症が発生した時に対応できる「医療者の育成」、そして、今回、モノクローナル抗体など様々な治療法が出てきましたが、それを「新しい疾病に早く適用できる仕組みづくり」を今のうちにしっかり準備していきたいです。医師会の先生方のご協力の下、一緒に新型コロナと闘っていければと思います。
野嶋 入社3年目で、コロナ禍での報道や情報に携わったことは、今後アナウンサーをしていく上で大きな糧を得たと思います。医師会の皆さんや有識者の方々とたくさんお話しする機会がありました。今回得た知識をどう生かしていくか、令和4年はアナウンサーとして一歩成長できる1年になればと思います。
茂松 本日はお二人の貴重な経験を聞かせていただきました。今後も医師会として国民に医療が信頼されるように、とにかく一番に国民の命と健康、そして会員のためにも頑張っていきたいと思います。今後、ますますお二人がご活躍されますことを祈念いたします。
茂松・阪本 本日は誠にありがとうございました。