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時事

河内長野の応戦

府医ニュース

2021年11月24日 第2983号

興味深い診療所群

 かかりつけ医の制度化への動きは、逆紹介という言葉の焼き増しであると捉えれば、20年前と何ら発想は変わらない。当時も、「中核病院から診療所に患者を戻す」という制度的な提示だけであったから、患者の猛反発を食らったわけである。急に診療所へ逆紹介をされることに対して、極度の不安を訴える患者が多かったため、診療所と大病院の間で循環診療を施行したのが河内長野の応戦の始まりであった。定期的に診察予約を取っておくことで、大病院とのつながりを確保する患者心理に対応した苦肉の策であった。
 循環診療は、逆紹介を円滑に進めるための総合病院側の発想であったが、実は診療所側からのアプローチによって、結果的に循環診療になっている例がある。
 逆紹介がなかなか進まない十数年前から、私はある診療所群に着目していた。これらの診療所群の興味深い点は、主治医が「循環診療のシステムを構築している」と認識しているわけではないということだ。「患者の要求に応えていたら、結果的に上手く循環診療になっている」というのが実態である。また、標榜科とは無関係に、患者を次々と総合病院へ紹介するという特徴があった。「自分の科だけに」と思っていたらそうでもなく、幅広い科に紹介がなされており、紹介患者数も他の診療所と比べると飛び抜けて多かった(循環診療を行う患者にサマリーシートを手渡した回数を統計解析して分かったことである)。
 非常に関心が持たれる現象として、前述の診療所はとても逆紹介がしやすく、紹介された患者も早々に診療所に戻っていく。外来も賑わっており、総合病院からの処方を希望しない患者が極めて多いのも不思議であった。このような診療所の処方は総合病院専門家の踏襲であるため、時として病態に対応できないことがある。しかしそういった時は、自己流で処方を変えるのではなく気軽に紹介を行う、フットワークの軽い診療所群であった。総合病院に務めていた時の私は、「主治医のカリスマ性」程度と解釈して、あまり気にも留めなかったが、定年後に小病院での診療を始めるや否や、それらの診療所群の優れた点が理解できるようになった。
 患者の要求は多彩である。症状によるが、総合病院の専門科ではそれらの要求をフィルターにかけ、一定の波長だけを拾い出せばよかった。残りは他科の受診を促すか、自らの手で紹介するかだ。しかし小病院や診療所の医師は、多彩な要求にも応えられなければならない。患者をつなぎ留めるためには、自分で治療するか他の医療機関に紹介するかとなるが、そこには医学的知識が要求される。過度の専門性は必要ないが、専門家が一般診療医に要求する程度の知識は必要だろう。つまり、診療所や小病院では、「面倒見+知識」が必要となる。面倒見にあたる行動の一つが総合病院への紹介であり、「全体の面倒見の程度」が総合病院の専門医を上回った時、患者は逆紹介に応ずるわけである。
 ところで、これらの診療所群が総合病院との循環診療を進めることによって得る診療情報の量は、研修医が手取り足取り教えてもらう時の情報量と同程度ではないかと思われる。私自身も非専門の患者を扱うことが多くなり、パーキンソン病寡動時の処置や致死性不整脈の薬物療法等、今まで経験したこともない疾患の治療を行うようになったが、専門家からの紹介状に書いてある処方や処置は、涙が出るほどありがたい。もちろん、そこで得た知識は自分の外来にも反映させるわけであるから、総合病院への紹介患者数も多くなる。すなわち、診療所や小病院で一人外来になった時、紹介を通じた専門医とのやり取りは、生きた情報源になっていることが初めて分かったのである。
 このように考えた時、「患者の面倒見が良い条件」としての紹介は、「医学的知識の更新」という別の視点からも見ることができる。当然ながら、知識量は紹介状の内容に反映され、紹介状が逆紹介側の判断材料になっている可能性がある。ポジティブフィードバックに入っていくこともあり得るわけである。(晴)