TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ

新春随想

郡市区等医師会長

府医ニュース

2021年1月20日 第2952号

 本紙恒例の郡市区等医師会長による「新春随想」。医療界に限らず幅広いテーマでご執筆をお願いし、13人の先生から玉稿を頂戴しました(順不同/敬称略)。

感染症の歴史を紐解く
生野区医師会長 谷本 吉造

 新年明けましておめでとうございます。
 昨年は中国・武漢市(湖北省)で発生した新型コロナウイルスによる肺炎が世界に広がり、WHOはパンデミックと認定。各国ともその対策に追われました。
 人類の歴史は感染症との闘いの歴史であると言われています。衛生対策の向上やワクチン・治療薬の開発などで制圧に成功した感染症もある一方、未知の病原体による新興感染症の流行は今も繰り返されています。近年は国内の海外渡航者やインバウンドが増加し、輸入感染症に遭遇するリスクも増えています。
 感染症の歴史を紐解いてみると、古くから知られている感染症にペストがあります。14世紀には、東ローマ帝国をはじめ世界的な流行で1億人が死亡したと言われています。「悪性の空気」が感染源と考えられた時代があり、17世紀のイタリアでは医師は全身をガウンで覆い、くちばし状のマスクをして治療にあたったと言われています。また、1918~19年にはインフルエンザ(スペイン風邪)が世界的に流行しました。その死者は2千万~5千万人とも言われ、感染経路は主に接触感染と飛沫感染であると当時から言われており、日本でも38万人の死者が出たと言われています。
 近年、様々な病原体の発見とワクチンの開発が相次ぎ、感染症対策は急速に発展しました。例えば天然痘は、WHOで1980年に撲滅宣言を出しました。一方、2002年に香港を中心に発生したSARS(重症急性呼吸器症候群)やアフリカのエボラ出血熱など、病原体の不明な感染症もあります。コロナウイルスを病原体とするSARSは、世界で8千人以上が感染し、約800人が死亡したと言われています。2009年には新型インフルエンザの世界的な流行があり、2012年にはサウジアラビアでMERS(中東呼吸器症候群)の初めての発症事例もありました。
 感染症は制御できる疾患と考えられ軽視される傾向にありますが、現在でも人の疾病の大半を占めるのはがんや高血圧症、糖尿病、脂質異常症ではなく感染症です。多くのウイルス感染症は、変異する際に病原性が弱くなる傾向にあり、ウイルスは単体では生きていけず人や動物の細胞の中に寄生することによってしか増殖できません。風邪のウイルスのように弱毒のウイルスは生き残るのでしょう。この度の新型コロナウイルスも感染性は高いが病原性としては弱く、軽症および無症状の人が約80%です。このようなウイルスを撲滅するのは不可能であると思われます。仮にワクチンや治療薬ができても、インフルエンザのように抵抗性を持つようなマイナーチェンジをして生き残るのではないでしょうか。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

かわいいメダカちゃん
布施医師会長 松山 浩吉

 COVID―19は瞬く間に世界を席巻し、2020年1月31日にはWHOがパンデミックを宣言、世界は鎖国、いまだに感染は続いている。日常が一変し、すべての針が凍りついた。
 ゴールデンウィークも出かけることができず、いつまでこの状態が続くのかと毎日が憂鬱であった。しかし、少し経つと悪いことばかりではないことに気付いた。ぶらりと万博記念公園へ出かけてみると、人っ子ひとりおらず、太陽の塔とエキスポシティ大観覧車だけが大きくそびえている。澄み切った空と自動車道が絵はがきのようで趣がある。
 時間を持て余し、スイレンとメダカを大きな鉢に入れ、今年こそメダカを増やそうと、水換えに余念がない毎日。庭には新しい芝をいれ、新緑の手入れもまた楽しい。
 メダカを見ていると可愛いので、ついつい毎日水換え、水槽の掃除をし、産卵のために水草を水槽に入れては出して、位置を変えたりして楽しんでいた。数週間後、水草に小さな透明な卵がくっついているのを見つけた。小さな水槽を買って、今か今かと孵化を待っていると、やっと針のような小さなメダカを見つけて興奮し、孵化したてのメダカを毎朝毎晩枕元で楽しんでいた。
 ふと困ったことに気が付いた。部屋に小さな蚊が飛んでいる。どこから飛んできたのかと考えていると、部屋の小さな水槽にボウフラがたくさんいる。それからは、ボウフラを見つけては取り除く毎日であったが、ついにボウフラとの格闘に負けて、部屋の中のメダカを元の水槽に戻した。夏の間に幾度も産卵を繰り返すために、あまりにも増えすぎたのには驚いた。
 何事も程々がちょうど良いと気が付き、今では程々の餌やりと水換え。しかし、元気なメダカ達を見ているとついつい時間を忘れてしまう。今年こそは冬を乗り越え、春には元気なメダカちゃんにお目にかかりたいものである。
 苦しみの中の喜び、この日常にも慣れ親しんでいる。ワクチンの完成、東京オリンピックの開催を祈るばかりである。

ファインダーの向こうに
平野区医師会長 井藤 尚之

 ジェットの轟音の方向に大砲のようなレンズを向け、ファインダーの中に旅客機を捕獲した瞬間に静かにシャッターを落とす。満足感に浸りながら左旋回して高度を上げていく旅客機を見送る。私は今、大阪空港の見渡せるスカイパークで飛行機の写真を撮りながら、お正月休みをゆっくり過ごしている――。というのが、昨年までの私のお正月の過ごし方でした。でも、今年は何か違います。飛行機が飛んで来ないのです。コロナ禍による減便のため、離着陸が減り、今までにはなかった、妙な静けさが空港全体を取り囲んでいます。
 新年、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 空を飛ぶ旅客機は、楽しい旅の人、悲しい旅の人、仕事での旅の人など、様々な人々を乗せています。ファインダーを通して、それらをまるで寄り添う主治医のように感じ取れる。それが医師である私にとっては、旅客機写真を撮ることの醍醐味のひとつであると考えています。しかしながら、旅客の減少もあってか、残念ながらそういうものを感じることが非常に少なくなっています。
 世界中がコロナ禍の真っ只中にあって、私達医師の仕事はますます重要で大変なものになり、それぞれご苦労されていることだと思います。更に、終わりの見えない状況にあって、そのモチベーションを保つことに腐心されておられることだと思います。
 私は、コロナ禍にあっても、ファインダーを通して、あたかも主治医のように搭乗者の喜怒哀楽を感じ取ることにより、モチベーションを保っていき、しっかりと自分自身の医療を進め、これを乗り切っていきたいと考えています。ファインダーの向こうに、搭乗者の喜びや、ワクチンや特効薬が搭載されていることが見えることを期待しながら。頑張りましょう。

趣味
河内医師会長 佐堀 彰彦

 「趣味は?」と聞かれると、テニスと映画だと答える。
 テニスは学生時代の軟式テニスの延長で、今は硬式に転向している。一時はゴルフもしかけたが、テニスから離れられない。時間を見つけ、週1~2回、良い汗を流している。さすがに還暦ともなると、体の方がついていかない。手、肘、膝といくつもサポーターを巻き、痛い痛いと言いながらプレーをしている。でも、もっと上手くなりたいという気持ちは若い頃のままだ。
 映画の方は洋画が好きだ。ベタだが、中学1年生の時に「燃えよ!ドラゴン」を観てハマった口だ。学生時代は試写会三昧で、今もケーブルテレビの洋画、海外ドラマを録りためている。いつか見ようと録り続け、以前はVHS、今はDVDの山である。今も止まぬ収集癖に、家族からは呆れられている。好みは専らアクション、スリラー、SFで、恋愛ものは苦手のまま。年に2~3回は趣味の合う次女と一緒に映画館へも行く。海外ドラマは「ブラックリスト」「ゴッサム」「メンタリスト」などが面白いが、「24」を超えるものはない。シーズン1の日本リメイク版「24―JAPAN」が現在放送中で、本家と比べて批判も多いが、それなりに楽しんでいる。今は弁護士ものの「グッドワイフ」と、スピンオフの「グッドファイト」が面白い。
 医師会は、当時会長をしていた義父から、半ば強引に理事に引き入れられて早23年になる。何の因果か、昨年からは同じ河内医師会の会長になり、3期目となる大阪府眼科医会長との兼務となった。ますます未見のDVDがたまる一方だ。医会活動は疲れるが、「他の人にやってもらえばええやん」と言う家内に「皆のためやからしゃあない」などと言うと、理解できないと不満顔。でもよく考えると、そんなに格好つけたもんでもなく結構喜んでいる自分がいる。そこで家内に「これも趣味みたいなもんや」というと、「色々趣味があってええね。じゃあ楽しんでやれば」と案外納得してくれている。それ以来「趣味」がひとつ増えてしまった……。

私のクラシック音楽論
泉佐野泉南医師会長 石本 喜和男

 新年明けましておめでとうございます。
 私がクラシック音楽に目覚めたのは学生時代。自分で楽器の演奏はしませんが、当時、自宅にあったベートーベンの第5交響曲「運命」やメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲のSPレコードがきっかけです。医師になって、現パナソニック社製オーディオ「テクニクス」を購入し、レパートリーはバッハ、ベートーベン、ブラームス、シューマン、ドボルザーク、チャイコフスキーなどへ広がり、その後は車の中ではクラシックを流し、医院では待合室にバックグラウンドミュージックが流れる日々を送ってきました。
 ブラームスの交響曲第4番はブラームス自身が最高傑作と評する名曲で、何人かの指揮者やオーケストラを聴き比べました。確かにメディアの音質や立体感は時代とともに進歩しても、演奏家が聴き手に訴える感動は音質とは別次元で、私にとっての最高傑作はドイツ戦時下の緊迫感が迫力満点に伝わるフルトベングラー指揮の1943年ライブ盤です。
 著明な音楽家は、時の政治との関わりに翻弄されてきた歴史があります。私が好きなハンガリー生まれの指揮者ジョージ・セルは、ナチスの迫害から逃れるべくアメリカへ渡り、クリーブランド管弦楽団を世界一、二の楽団に育て上げ、70年の大阪万博時に来日しました。一方、演奏家で反体制と見做されたチェロのカザルス(スペイン)はプエルトリコへ、ロストロポービッチ(ロシア)はアメリカへ亡命するなど苦難の道を強いられましたが、平和を求める強い意志はドボルザークのチェロ協奏曲など名演奏を生み出し、やがてカザルスは国連で「鳥の歌」を演奏して国連平和賞を授与され、ロストロポービッチも祖国ロシアより祖国功労賞が授与されて、名誉を回復しました。
 コロナ禍の現状を同様に考えると、医療関係者は「政治のGoTo」とは一線を画し、地域の感染対策に全力で取り組む姿勢が求められています。

コロナウイルスとの共存
高槻市医師会長 木野 昌也

 新型コロナウイルス感染の勢いは収まりそうにありません。昨年10月中旬から始まった第3波は、第1波、第2波と次第に感染者数を増し、今年1月8日には新規の感染者数が全国で7882名と連日のように最高記録を更新しています。そんな中で、ついに我々の施設でも看護師が感染し、数名の同僚にも感染が確認されました。幸い、入院患者さんや他の職場の職員には感染が確認されず、感染者が数名に限定され胸をなで下ろしています。医療現場では厳重な感染対策を実行していても、仕事を終えた後の休憩室で少し気が緩んだのでしょうか。勤務終了後は速やかに病院を退出すること、複数での会食の禁止等、全職員に感染防止対策を徹底しています。
 なぜ感染者数が増え続けるのでしょうか。ひとつには、若い人達が感染した時には無症状で、知らず知らずに感染を拡散しているからだというのです。米国の原子力空母で発生したクラスターでは、平均年齢27歳の乗組員4779人のうち、13日の航海中に3人の乗組員にPCRで陽性反応が確認されていますが、グアムの基地に到着するまでの間に隔離措置等が取られていたにもかかわらず、1271人もの乗組員に感染が拡散しています。しかも半数近くの人が無症状だったのです。
 もうひとつの原因として注目されるのは、サイエンス誌に最近発表された研究ですが、新型コロナウイルス自体が遺伝子変異を起こし、人の細胞への感染力を増しており、飛沫感染がしやすくなったことが動物実験で確認されているのです。コロナウイルスのRNA遺伝子はエアロゾルの中にも確認されており、N95マスクといえども完全に予防できません。この段階に至れば、感染を防止できなくとも感染を限定的にして、クラスターの発生を予防することに重点を置くべきでしょう。
 ワクチンが安心して使用できるまでには、まだまだ時間がかかります。新年を迎え、気を引き締めて対処していきたいと思います。

点描画のような人生を夢見て
旭区医師会長 焦 昇

 印象派絵画の巨匠クロード・モネの「印象・日の出」あるいは「水蓮」、新印象派ジョルジュ・スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の前で、鑑賞者が必ず行う儀式がある。近接して絵を構成する点の数々を凝視し、その無秩序さや色の多さに感心し、やおら後ろに下がって首を傾げつつも、最後には大きくうなずき微笑む。光の集まり(視覚混合)で絵画を構成する印象派は19世紀の大きな発見である。パリのセーヌ川沿いに佇むオルセー美術館やオランジュリー美術館は印象派絵画の大鉱脈であり、訪れる度に大きな発見と喜びを感じる。
 人生は悲しみや怒りに満ちた漆黒でも美しくないし、喜びや楽しさだけで表される白点の集合である純白のキャンバスでもつまらない。赤や黄の暖色系の点、青や紫の寒色系の点が白や黒と複雑に合わさり一大絵画が出来上がった時、人は人生を振り返り――本人なりに――意味のある美しい人生であったと感じるのではないだろうか。人生は時の流れであるが、自分の生きてきた道を追懐するとき、流れ星のような流体の集合像でなく、静止点の集合として見つめ直すのであろう。恐らくその記憶は、タイムラプス動画の形式ではなく1枚の大きなスチル絵のように。
 私の66年の人生も、様々な色の点の集まりで成り立っている。全体を俯瞰してもまだ、絵画像や意味・意義は映じてこない。人生100年が謳われる今、あと三十有余年を経てどのような絵が出来上がってくるのだろう。色彩のドットが消えてゆくと表現してもよい認知症になる前に見たいものである。「人生が美しく在らねばならぬのか」という論はあるにしても、美しくあっても徒爾徒消にはならないであろう。
 禅語で「慈悲海」という言葉がある。仏の心は大海のように量ることのできないほどの慈悲に溢れているという意味のようであるが、人生の点描画の中に海ほどでなくていいので、星の煌めきのような慈悲の色が早春の朧々とした風景画に散りばめられていたら、私の美意識としては最高である。

心ある医療とは…
高石市医師会長 矢田 克嗣

 明けましておめでとうございます。本年も皆様にとって良い年でありますよう心よりお祈り申し上げます。また、今なお新型コロナウイルスと戦っておられる皆様に、敬意と感謝を申し上げたいと思います。
 昨年の新春随想で「人生100歳時代を考える」を投稿しましたが、100歳どころか、新型コロナウイルスでこのようなことになるとは誰も想像できなかったことでしょう。
 私は今、大阪市立大学テニス部OB会の副会長をしています。テニスも近畿大会、西医体と、次々に対外試合が中止になりました。しかし、学生諸君が中心となって、有志による近畿大会を実施することができました。自分達には無い、彼らの行動力に本当に感心しました。
 そこで、自分の学生時代との違いは何か考えてみました。今の学生は行動力があり、テニスの技術も上がっています。しかし、残念ながら留年する学生が多いようです。確かに、我々の時代より進級することが厳しくなってきています。けれども、それだけではないようです。ついつい「テニスも大切ですが、早く卒業していいお医者さんになってね」と声をかけてしまいます。
 我々の時代は貧しい学生が多く、奨学金をもらっている生徒も多かったのを覚えています。留年は資金的にも不可能な生徒が多く、許されなかったのかもしれません。そう考えると、今は高所得者の子弟が多いように思います。
 今や医学部に入るには、幼稚園、小学校から塾に通い勉強する子としない子では、大きな差ができると思います。生まれ育った高石には、我々の時代には塾などありませんでした。こんなところにも資本主義が浸透し、医学部に進学するのもお金持ちの子弟しか行けない時代になってきたのかもしれません。それは医療においても同様で、資本力のある者が、デイサービス等の介護施設、老人ホーム、グループホームなどを経営し、更にそこに企業が参入するようになってきました。それも素晴らしい経営展開だと思いますが、そこにいつも心ある医療が存在するのかどうか考えることがあります。
 我々はこのコロナ禍の中で、ひとりでも多くの患者さんを助ける努力をしていかなければなりません。「心ある医療」とはなにか、ぜひ皆様も考え直す1年にされてはいかがでしょうか?

コロナ禍を巡って
岸和田市医師会長 久禮 三子雄【"禮" は "ネ" (しめすへん)に豊】

 コロナ禍の新年である。旧年の1年間の感染状況を地球規模で見れば、日本は規模が小さいが、東アジアで見ればかなり悪い状況である。医療関係者の奮闘もここに来て限界に来ていると報じられている。医療関係者の奮闘には掛ける言葉が思いつかない、唯々感謝の一言である。
 私どもが関わったことを言えば、2月28日に保健所長が担当課長を伴い、当会に来駕されたのが折衝の始まりである。地区での今後の対処方針、クラスターの防止策、各診療所での診療時間、動線の区分などの意見交換を行っている。その後、早い時点で会員2名が診察時に感染し、幸い大事には至らなかったが、会員間に緊張感が生まれた。保健所との折衝は頻繁となり、一時は医師会施設でのPCR検査センターの開設まで話は進んだ。出務医師の確保の話になって、災害補償の点で話は頓挫することになる。出務医師の被災時の災害補償に、災害救助法の適応はしないのが国の方針であると。
 3月4月は医師会と保健所との話し合いが堂々巡りで、その間、会員診療所では自発的に発熱者から検体を採取し、保健所に行政検査を持ち込むところが増えてきた。医師会も会員が実質的に行政検査を始めていること、もはや災害医療では話が進まないことなどから、各診療所で帰国者・接触者外来として府と個別契約を結ぶこととし、手上げを募ったところ、20診療所が応じてくれ、6月1日付けで個別契約を締結した。岸和田市は20万都市、無床診療所は約120余カ所の規模である。市民のPCR検査拠点が1万人に1カ所できたことになり、受け入れ病院は市立岸和田市民病院、岸和田徳洲会病院の2カ所があるから、6月の時点でほぼ受け入れ体制はでき、その後の第2波、第3波に対応した。先んじて個別契約に応じてくれた医療機関には深甚なる謝意を呈したい。
 その後の国のインフルエンザ・新型コロナ同時多発に備えた診療・検査医療機関の整備事業が進み、10月30日付けで当会の会員診療所からは個別契約・集合契約あわせて48医療機関が指定を受けたものと思われる。〝思われる〟と言うのも、指定医療機関について府は地区医師会に情報公開しないし、所轄保健所も把握できていない。5月の時点から当医師会は所轄保健所と緊密な連携を取り、地区のPCR検査体制拡充に取り組んできたにもかかわらず、である。そのため、事務局は政府の施策、診療体制確保事業や感染拡大防止事業のきめ細かい案内を末端まで届けられずにいる。
 思えば府の施策には首をかしげざるを得ないものが少なくない。10月末の診療・検査医療機関の指定についても、補助金等の交付は国の事業であるが、指定に関しては府の権限であり、都道府県により異なる。厚生労働省に確認を取ったが、都道府県内で指定日が異なっても問題がないとのことである。当会内でも6月1日から精力的に検査に取り組んできた20医療機関からは納得がいかないとの不満がでている。医療機関では事業継続のための持続化給付金の恩恵に預かれない診療所がほとんどであるが、苦境の中で頑張っているところも多い。十把一絡げ的施策では積み上げてきた所轄保健所からの期待にも沿えないことになりかねない。
 年が明けてからの感染蔓延で、検査体制、ワクチン接種体制の拡充が必要になり、行政との折衝も増えた。円滑な連携体制に腐心する毎日である。

新型コロナウイルス感染症とACP(人生会議)について
浪速区医師会長 有田 繁広

 新年明けましておめでとうございます。
 昨年春から世界中に蔓延している新型コロナウイルス感染症(以下COVID―19)は、大阪において多くの感染者を出し、12月に入り重症者病床が不足する事態となり、自粛を余儀なくされる状況に陥りました。
 表題のACP(人生会議)についてですが、平成30年に厚生労働省からガイドラインの見直しがあり、病院における延命治療への対応を想定した内容だけではなく「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」に名称変更されるとともに、介護が含まれることを明確化されました。どのような生き方を望むかを、日頃から繰り返し話し合うことが重要であるとされました。
 この度のCOVID―19感染症により、比較的早期に重症化する事例では、「どこまでの治療を希望するか」との意思決定をする間もなく、緊急入院・挿管・呼吸管理~ECMOまで、救命のためにあらゆる加療が行われます。高齢者、超高齢者においても医療従事者は懸命に治療を行っています。しかし、市中肺炎であれば、認知症や寝たきりの患者さんに濃厚な治療はされない場合が多いのではないでしょうか。もちろん、ご本人やご家族をはじめ、関わりのある方の思いを含めて治療継続を考慮するべきと思います。コロナ禍は、ACPを普及させるきっかけになるのではないかと愚考しております。
 地域包括ケアシステムには、ACPを普及するための内容が含まれています。浪速区で推進しているICTを利用した多職種連携システムとしてAケアカードがあります。チャット(掲示板)機能があり患者さん(利用者さん)にかかる医師、歯科医師、薬剤師、訪問看護師、介護職が情報共有できるものです。ここに、各職種が聞いた患者さんの思いを共有することによりACPを行うことが可能です。その時々で患者さんの意思は変わっていくことを前提として、最新の思いを確認し共有することができます。今後、改良を加えACPページを加えていく予定になっています。人生の最終段階はじわじわと来るだけではなく、この度の肺炎のように急激に悪化する場合があることを日本中の人が認識された今、ACPの普及・啓発を進める時期ではないかと思います。
 本年は、ワクチンが実用化され感染の鎮静化を強く期待し、東京オリンピックも盛会になることを祈っております。

Go To 初詣
守口市医師会長 博多 尚文

 初詣には、京阪沿線に大阪天満宮、成田山不動尊、石清水八幡宮、伏見稲荷大社、八坂神社、平安神宮と由緒ある神社が並ぶ。どの神様も、総合的、俯瞰的に民の願いを叶えてくださるはずだが、得意分野がある。認知症予防に天満宮、車ごとコンビニに入らぬように成田山。この歳で戦(いくさ)神の石清水は遠慮し、昨年の診療報酬の減少を考えると、商売繁盛のお稲荷さんにお願いするしかない。
 山門を入ると右手に東丸(あずままろ)神社がある。受験の神様で、昔お世話になった。お稲荷さんは山門の奥が本殿で、たくさんお賽銭すると身軽になり後の参(山)道行に良い。石清水八幡宮の本殿は山頂で、麓の拝殿だけで帰ると、兼好法師に「先達はあらまほしきなり」と叱られる。
 稲荷大社はお山が信仰の対象で、峰々に座す神様を自宅に分社し信仰する。鳥居が続く峰々を巡るのを「お山する」という。お山するには、本殿左後方に進む。撮影スポットの千本鳥居を抜けると小社に至る。「重軽石(おもかるいし)」があり、願いが叶う時だけ持ち上がるという。更に進むと、「根上がりの松」があり、新型コロナで持株が下がっていれば拝む。どんどん登ると「四ツ辻」に至り、京都市街を眼下に甘酒を飲む。右折と直進はお山の奥でつながり一周する。
 コロナの受付は「お咳さん」になる。古来、咳が続く赤子に、祀ってある涎掛けを持ち帰り患児に掛ける。治ると新調し奉納する。今は感染拡大防止のため休止中。近くに「薬力の滝」もあり医薬は分業、打たれて帰るには寒い。程なく、泉涌寺(せんにゅうじ)に抜ける径があり、即成院に至る。ここは那須与一を祀り、病に「治る病気は助けて、ダメなら苦しまずに…」と詣でる。
 辛党は、参道を下りた旅籠で稲荷ずしとスズメの丸焼きをアテに伏見の御酒を楽しむ。お土産は「京のスグキ」に限る。甘党には駅前の歴史ある「丁稚羊羹」がおすすめだが、超高齢夫婦のお店で、今年は開いているかどうか…。

イタリアスキーツアーⅡ
大正区医師会長 樫原 秀一

 還暦記念に、一昨年の年末年始を利用して、イタリア・コルチナにスキー遠征をした。前回は友人と家内の4人でツアーに参加したが、今回はもう少し滑りたいという想いから、家内と次女を含む9人(女性4人、男性5人)でプライベートツアーを組み、前回と同じコンダクターさんにお願いした。
 関空から12時間を経てミュンヘンに。バスで移動すること5時間で1年ぶりのコルチナ・ダンペッツオに到着。翌日から天候にも恵まれて、1日目(29日)はオリンピックコースのあるトファーナを滑走した。初参加の5人は氷のバーンに驚くも、すぐにデラパージュで対応、どこまでずれてもコースアウトすることのない雄大なゲレンデに驚いていた。
 2日目はブランデコロネスに。山頂からコースが放射線状に広がる広大なピステに感嘆し、どこをどう滑ってもいいバーンを満喫した。3日目には女子W杯コースのあるセストへ。コルチナから車で40分、オーストリア国境と接するドロミテ北部のモンテエルモやクローダロッサ、トレチーメを望むドイツ語圏のエリアで、最新のゲレンデ設備が整いよく手入れされた滑りやすいバーンが続く。
 4日目は広大なドロミテの中心に位置するセラ山群、アラッバからリフト・ゴンドラを乗り継いで逆セラロンダを滑る。想像を絶するスケールに昨年とは別の感動を覚えた。5日目は、ドロミテ最高峰のマルモラーダ3343㍍を滑る。その景色は息をのむ壮大さと美しさ! 何度来ても感動!! 6日目はチンクエトッリを滑る。地元では絶大な人気を誇る5つの巨大な塔が並んで見えて、高さは2255㍍とけっして高くはないが、存在感は絶大。ここから360度のドロミテ秀峰群の迫力ある景観を楽しんだ。
 プライベートツアーで、コンダクターには滑走重視のプランでお願いしたので、前回の倍は滑った。しかし、一緒にツアーに参加した男性1人が、3日目の最終滑走で最後に止まってからゆっくり転倒、左上腕骨剥離骨折でツアーを離脱。また、滑りまくるコンダクターの指導の下、驚異的に上達した娘が最終日の最後に雪だまりに突っ込み、左膝関節靱帯損傷で現地の救急病院を体験、帰国後はJCHO大阪病院でお世話になるなどのエピソードもあった。
 昨年11月、我らの愛するスーパーコンダクターからコロナ禍での転職の知らせがあった。ワクチン、特効薬のない新型コロナは人々の生活を大きく変えた。いつかまたイタリアに行けると信じて、今は仕事に勤しんでいる。

働かないアリではない
枚岡医師会長 五島 淳

 世の中には物好き、いや失礼、ユニークな研究をしている人がいる。北海道大学の長谷川英祐先生である。1日7時間以上、数カ月もアリのコロニーを観察し続けることにより、働きアリのうち2割は全く働かないということを発見した。よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。よく働いている2割のアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。また、2割のサボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。10年ほど前に話題になったのでご存じの方も多いと思うが、これが「働きアリの法則」である。
 常に2割の怠け者アリがいる理由、それはアリのコロニーの場合、外敵(アリの天敵)から攻撃を受けた時に緊急対応できるよう、稼働していないように見える怠け者アリを温存しているという。いわば「予備要員」を常に抱えている。皆が一斉に働きだすシステムでは、短期的には効率が良いが、疲労などで皆が一斉に仕事ができなくなり、コロニーに致命的なダメージを与え、コロニー全体が短命に終わってしまうらしい。働き者が疲れたら、普段働いていないアリが仕事を肩代わりすることで、アリのコロニーはリスクをヘッジしている。生物の世界において、効率を犠牲にしても存続を優先するのは、よく考えれば当たり前の結論である。
 一昨年の秋、厚生労働省により再編統合の必要性があるとした424の公立・公的病院が公表された。少なくとも厚労省は、これらの病院を「働かないアリ」と認定したのである。そして昨年、誰もが予想しなかった新型コロナウイルス感染症という事態が発生。医療崩壊が迫る中、これら名指しされた病院は「国民の命と健康を守る最後の砦」として機能し、見事にリスクヘッジの役割を果たした。医療において、有事の時の備えをしておくべきというごく当たり前のことが忘れられようとしていたのだ。コロナ禍は、図らずも病院再編計画においてredundancy (冗長化)を排除することが非常に危険であることを証明した。再考が必要であろう。
 最後に、この424の病院の職員の皆様方を、「働かないアリ」に例えてゴメンナサイ。