TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ

新春随想

郡市区等医師会長

府医ニュース

2020年1月15日 第2916号

 本紙恒例の郡市区等医師会長による「新春随想」。医療界に限らず幅広いテーマでご執筆をお願いし、17人の先生から玉稿を頂戴しました(順不同/敬称略)。

2025年問題対策にロコトレを
富田林医師会長 宮田 重樹

 謹んで新年のお慶びを申し上げます。
 2025年にすべての団塊の世代の方が75歳を迎えます。医療費は75歳未満22.2万円、75歳以上93.9万円、介護費の平均は17万円で、75歳を超えると医療費、介護費が大幅に増えます。75歳を過ぎても元気に自立した生活を過ごせるよう体づくりが肝心です。
 加齢により身体的、精神的、社会的に体が弱り、介護の手前になった状態であるフレイル対策のキーは、スクワット等のレジスタンス運動です。糖尿病、心臓病、腎臓病、がんにもレジスタンス運動が推奨されています。各種疾患、術後にフレイルを合併する人ほど予後が悪いという報告が多数ありますが、実際にどのように指導すべきか悩むところです。
 ロコモは、加齢とともに足腰が弱り、歩行に支障が出始めた時で、身体的フレイルの前段階です。早期がんの時期であれば助かる可能性が高いですが、末期がんであれば手遅れ。糖尿病も合併症が出てからは元に戻れない。足腰もロコモの時に気付いて対処すれば、寝たきりになる確率は格段に減ります。
 ロコモトレーニング(ロコトレ)は、高名な整形外科医が数多くの運動の中から元気高齢者になるために最善の運動として選ばれたスクワット、片脚立ち、つま先立ち、フロントランジの4つです。誰でも知っている運動ですが、効果を出すポイントがあります。安全のため、家の食卓に手をついて立ち、後ろに椅子を置いて行っていただきます。
 スクワットは、食卓に手をついて背すじを伸ばしたままお辞儀をしてから立ち上がり、座る時も背すじを伸ばしたままお尻を後ろに突き出して便座に座るように座っていきます。この時に膝がつま先より前に出ないで、膝と足先の方向を同じにすることが重要です。つま先立ちは、食卓に指をつき、踵同士をつけ足先は15度くらい開き、踵を離さずつま先立ちします。この時ふくらはぎだけでなく内腿、お尻、お腹も引き締めることで体幹が安定します。片脚立ちの際にも食卓に指をつき内腿、お尻、お腹も引き締めると体幹が安定します。膝がぐらつかないこともポイントです。フロントランジは、食卓の横に立ち一歩踏み出します。一歩出した足と膝が同じ方向を向くように、膝がぐらつかないようにすることが重要です。余裕があれば一歩幅を広げ、一歩踏み出した後、重心を下げます。片脚立ちは60秒、他の運動は10回から始め、徐々に増やしてください。
 この方法であれば、膝痛や腰痛のある高齢者でもできますし、やれば膝痛・腰痛も改善します。ぜひ、日々の診療、地域での介護予防運動にロコトレを活用してください。

GDPから見るオリンピック
西区医師会長 永田 昌敬

 今年は東京オリンピックの年です。令和2年の干支は十二支で言うところの「子年(ねどし)」、ネズミに当たるわけですが、正確に干支を表すと「庚子(かのえ・ね)」です。
 日本で十二支と言えば、ネズミ、ウシ、トラなどの12の動物を連想する人が多いと思いますが、元々は十二支に動物の意味はなかったとのこと。最初は、十干と十二支を合わせて日付を記録するのに使われていたようです。そして、季節が月の満ち欠けを12回繰り返したら循環することから月に割り当てられたり、時刻、方位などを指すのに使われたりするようになりました。このように十二支はあらゆる概念の指標になっており、生活においても重要なものでした。そのため、無学な民衆でもこれを覚えて使えるようになってもらうために、馴染み深い動物が割り当てられたと言われています。
 さて、昭和39年の東京オリンピックから56年経過しています。会員の皆様で当時まだ生まれていない方も多数おられると思いますが、私は小学4年生の時でした。教室にテレビが置かれて、競技の内容は忘れましたが授業の一環としてテレビ観戦をした記憶があります。
 令和2年オリンピック関連の経費総額は3.6~4.8兆円に上ると見込まれます。同年度におけるGDP試算値の0.6~0.8%に相当する額です。昭和39年の直接経費は、運営費100億円と競技場の建設・修理170億円を合わせ、総額270億円であったとされています。また、オリンピックのためのインフラ整備のための間接経費は、東海道新幹線の開通、首都高速道路の延伸、地下鉄の延伸、上下水道の整備を含め9610億円にも上りました。以上の総計は9870億円となりますが、これはGDP比で3.1%に相当します。今年の東京オリンピックの予想経費がGDP比で0.6~0.8%であったのに比べると、前回のオリンピックの規模の大きさが分かります。国を挙げての一大事業であったと推測します。
 私は2回オリンピックを、そしておそらく元気であれば2回の大阪万博を体験できると思います。そのために健康に留意して過ごして参りたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。

がんゲノム医療の展望
大阪医科大学医師会長 森脇 真一

 大学医師会長を拝命して2回目の新年を迎えました。
 私は皮膚科医ですが、皮膚疾患の中でも特に遺伝性皮膚疾患が専門です。その関係で大学附属病院では皮膚科の科長以外に2013年から遺伝カウンセリング室の室長、昨年からはがんゲノム管理室の室長の役職も担っています。
 近年、ゲノム医科学が急速に発展し、遺伝性疾患を含む国の難病制度も改革され、更に厚生労働省からのがん診療における遺伝カウンセリング体制充実の推奨など、遺伝医療業務の重要性が一段と高まってきております。
 がんゲノム医療は国の主導で18年にスタートしたがんのprecision medicine (個別レベルで最適な治療を分子レベルで分析し、選択、実施する最先端医療)であり、19年6月から遺伝子パネル検査が公的医療保険の適用となりました。また、20年4月より「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)」と診断された患者(本邦における年間の新規患者は数千人とも言われている)が、新たながんの出現を防ぐために健康な状態の乳房などを予防的に切除する手術(13年に女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが実施を公表した手術です)が公的医療保険の適用対象となるとの発表が厚労省よりなされました。
 従って今後は全国的に家族性腫瘍患者の遺伝子検査、確定診断後の予防的外科医療、がんゲノム医療の症例がますます増加することが予測されます。今年は遺伝医療が臨床面でも大きく発展する年になる……。そんな予感がする今日この頃です。

イタリアスキーツアー
大正区医師会長 樫原 秀一

 卒後30年の記念に友人から年末年始イタリアスキーツアーに誘われた。在宅患者さんもいるし8日間の海外旅行は難しいと一旦は断った。毎年2月の連休に山形蔵王に出かけるのが精一杯……。しかし元気にスキーできるのもいつまでだろうと考え直して連携医師、病診連携、訪問看護ステーションにお願いして、卒業旅行以来の海外スキーツアーに参加した。
 約12時間のフライト後にバスでコルチナ・ダンペッツオに到着。標高1224㍍、ドロミテ山脈の麓にあり計12のスキーエリアを擁するスーパードロミテは、世界最大級:コース総延長1220㌔、リフト・ゴンドラ数460基を誇る。翌朝、インストラクターとファローリア山上へ。盆地を挟んだ向かいのトファーネ山の姿にうっとりするのも束の間、足馴らしのはずが、ゲレンデにはコブはないもののパリーンとしたアイスバーン! スケートリンクのようなバーンに腰がひける。6日間無事に滑りきれるのか?
 「クリフハンガー」や「トンバ」で有名なクリスタッロを滑走して1日目を終了。翌日は毎年ワールドカップ女子ダウンヒルが開催されるトファーナに。こんなコースを滑降するなんて! 驚愕! 3日目からはアイスバーンにも慣れて(意外に脚力が不要)、ラガツオーイの展望台からアルタ・バデイアに。標高差1千㍍を滑走し、途中、大自然の造形や変化に富んだ景観にただ魅とれる。4日目はコルチナのハイライト・奇岩セラ山群を1日かけて1周するセラロンダに挑戦、アラッパからセラ山の周囲をリフト・ゴンドラを乗り継いで滑走距離30㌔、リフトでの移動を合わせると1日で約60㌔を制覇。5日目はチベッタ山麓を滑走し明峰ペルモの景観を楽しむ。
 最終日は標高3342㍍「ドロミテの女王」マルモラーダに。山上からのコースは全長12㌔、麓のマルガ・チャペラまで滑りきってイタリアスキーツアーは終了した。思いきって参加してよかった。本当に素晴らしい体験をさせてもらった。
 次は還暦記念にコルチナに行きたい。

「コスト病」について
高槻市医師会長 木野 昌也

 皆さんは「コスト病」をご存じでしょうか。コスト病とは、米国の経済学者で米国経済学会長も務めたウイリアム・ボーモルが、1960年代にボーモル効果を発見し、コスト病と名付けたものです。医療費が増える要因は、一般には医療の技術的な進歩と高齢化が二大要因といわれていますが、実はもっと根源的なところに原因があるのです。それは技術革新がめざましく進歩する社会の構造自体に医療費を増加させる要因を含んでいるというのです。私はこの考え方を知り目から鱗でした。皆さんにもぜひ知っていただきたいと思います。
 自動車やコンピューターの値段が安くなっているのに、どうして医療費は安くならないのでしょうか。ボーモルの提唱するコスト病の考え方によれば、医療サービスは、人による人に対するサービスである以上、サービスを提供する人の数を減らすことができません。自動車産業やコンピューター産業のように技術革新が次々に起こり、生産性が向上している産業では、機械化が進み人は少なくてすみますから1人当たりの人件費を増やすことができます。ところが、医療や教育などの対人サービスでは、機械化が困難で、それだけ生産性の向上は望めないため、質を高めようとすればより多くの人材が必要となります。一般社会では、人材が給与のより高い方へ流れるのは自然です。ですから、人材を引き止めようとすれば、生産性が向上していないにもかかわらず給与を引き上げる必要があります。その結果、社会全体の成長率を遥かに超える勢いで費用が増加するのです。この状態をコスト病と呼んでいます。
 これからの社会、AIなどの技術革新が次々と起こってくるでしょう。AI技術を使って診断はできても、それを人である患者に適応し、病を治すのは人である医師です。その時代になって本当に問われるのは人としての温かみ。でもその温かみには大変費用がかかるのです。そのことを訴え続けたいと思います。

検索と専門知識
岸和田市医師会長 久禮 三子雄

 ネット検索ばやりである。若い患者が検索で病名を見つけ「××ですから抗生剤ください」と来る。診断とはそんなに簡単なものではないことを知らない。患者の権利と消費者主権が珍妙な合体をして、よく見られる外来風景となった。金銭的対価を支払って購うあらゆる事柄は消費者志向となり、消費者は常に正しい。一方で診療契約を結んだからには誤診は契約不履行で医師の過失が問われる。
 今は危うい時代だ。手近に検索できるグーグルやウィキペディアが専門家の意見に取って代わろうとしている。トム・ニコルズによればこのような社会では「専門家と素人、教師と生徒、知識があるものと好奇心のあるもの―要するに、ある分野において何かしらの業績のある人間と全くない人間―の間の垣根が崩れつつある」と指摘する。
 医師に限らず高度な社会には専門職は必須だ。人々は専門的な知識と技能は購うが、専門家が蓄積した見識や洞察には一顧だにしない。見識や洞察で裏打ちされた知識とネット検索を同じ土俵に乗せる人々。PISA(Programme for International Student Assessment)での日本人生徒の読解力の低下が話題になった。ほとんどの青年が高等教育を受け教育サービスが充実した社会で知識学力が低下する。果たしてこれらはすべてITの普及によるせいなのであろうか。
 かつて知的訓練を受けた一部の者しか占有できなかった専門的知識がITイノベーションで多くの大衆が容易にアプローチできるようになった。それが専門家への不信と大衆の反知性的態度―実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度(佐藤優)―がはびこることになる。反ワクチン接種論を見ていると、ヒトは自分の見たいニュースしか見ない、聞きたい意見しか聞かないということがよく分かる。

30年
東成区医師会長 長田 栄一

 昨年の流行語大賞は、ラグビー日本代表のスローガン「ONE TEAM」でした。『選手達の思い、心がひとつにならなければチームとして機能しない』との監督の願いが込められています。
 平成元年に東成の地に根をおろした当院も令和元年に30年を迎えました。開院当初は、大学医局時代のONE TEAMで手術に挑んでいた頃が懐かしくなる程、孤独感がありました。しかし、医師会で理事を務めさせていただく中、地域医療を担うことを使命として集まった医師が思いをひとつにして活動していることに、決して孤独ではないと思えるようになりました。白黒はっきりつけなければ済まない性格故、会長就任後はいろいろと悩み葛藤した日々でしたが、いつも気にかけて下さるN先生から『夏目漱石の草枕の句があるでしょ? 智に働けば角が立つ……』とアドバイスをいただき、人付き合いとは智と情と意地のバランスが大切と学びました。
 辛く苦しいことが多い30年でしたが、心沈む時にも、開業と同時に生まれた息子の存在が私を常に奮い立たせてくれました。スタッフや顧問税理士を招いてのささやかな祝賀会をした際、息子が閉会のあいさつを引き受けてくれました。統計学的に事業所が30年継続できる確率などの話題から始まり、心配性の私について話が移りました。『焼肉屋に食事に行った時も父は肉が少しでも赤いと絶対に食べません。冷麺に添えている煮豚ですら網の上で焼いてから食べます。それは、多くの感染性胃腸炎の患者さんを診てきた経験からもあるでしょうが、元来いろいろな意味で非常に心配性です。それだからこそ、30周年を迎えることができているのだと思います』。
 そして記念誌の寄稿には『今はまだ医師としても人間としても未熟であるが、コツコツと誠実に続ければいつか私も父のようになれるだろうか。失敗続きでも百折不撓の精神で明日からまた目の前のことに取り組んでいこう』とありました。
 息子のおかげでまだまだ頑張れそうな気がしています。

外国人労働者を求めて――フィリピン旅行記
泉佐野泉南医師会長 野上 浩實

 新年明けましておめでとうございます。今年は子年でネズミ年に当たるが、正確に干支を表すと「庚子」となる。庚子は変化が生まれる状態で、全く新しいことにチャレンジするのに適した年とも言える。皆さん、新しいことにチャレンジしてはいかがでしょうか。
 2040年には団塊ジュニア世代が65歳に達し、高齢者人口がピークを迎える。しかし、少子かつ多死社会なので人口はどんどん減少し、48年には1億を下回る。結果起こることは深刻な若年労働者の減少である。対策のひとつに、外国人労働者の大幅な受け入れ、新たな在留資格と受け入れ環境の整備などが挙げられる。
 私どもの介護施設も職員不足で運営に難渋している。そこで外国人労働者を求めて、昨年2回(3月と5月)フィリピンを訪れた。マニラ国際空港に着いたらそこは30度を超える灼熱の世界であった。フィリピンは出生率2.98で人口がどんどん増加しており、15年に1億を突破し、近い将来日本の人口を上回る。フィリピンでは高齢者はあまり見かけず、若い人が目立つ、活気にあふれた国であった。しかし貧困家庭が多く、多くの人が外国での労働を求める状況にあった。まさに渡りに船である。
 私が訪れたのはマニラから南に60㌔ほど離れたタガイタイという避暑地であった。ここで日本での介護職を希望する46人のフィリピン人を面接した。みんな目が生き生きと輝いており、日本に渡って働きたいという希望にあふれていた。彼らに日本での就職を希望する理由を聞くと、日本は「アジアの先進国」「優しい人柄」「距離的に近い」「給料が高いので仕送りできる」などを挙げていた。この中で人柄が良く、若くて、利発そうな4人を採用した。彼らはフィリピンで半年間日本語を学んで日本語検定N4の資格を取得してから技能実習生として今春日本に来ることになる。それまでに彼らが日本で労働する環境を整備する必要がある。これから実績を作って将来も日本で働いてもらえるように努力したいと思っている。
 末尾に今年が皆様にとって良い年であることを祈念します。

書き初めの思い出
東住吉区医師会長 藤村 浩人

 新年明けましておめでとうございます。先生方におかれましてはますますご健勝にて新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。今年も良い年でありますようお祈り申し上げます。
 私が正月に「書き初め」をするようになってから今年で5年になります。書き初めの文句を考えるのも楽しみのひとつで、今年はオリンピックが開催される年でもあり、「夢への飛躍」などはどうかと考えているところです。
 私が「書き初め」をするようになったきっかけは、6年ほど前に書道を始めたことにあります。今でも小・中学校では書写の授業がありますが、当時の私にとっては、これほど嫌な時間はありませんでした。墨を擦ることから始まり、ようやく擦れた頃には授業時間の半分近くが終わっていたように思います。私のように習字が苦手な者は、何枚か半紙が真っ黒になるまで練習をしてから清書に取りかかりますので、授業時間ギリギリに、決して上手とは言えない不本意な作品を提出して、ようやく書写の授業が終わったことを思い出します。書道塾に通っている同級生の書いた作品は素晴らしいもので、尊敬の念の入り交じった複雑な嫉妬心を抱いたこともありました。
 字の下手な私には、もう少しましな字が書けないものかという願望が常にあり、勤務医時代の1年間、書道の通信教育を受けたことがありました。毎月課題を清書して郵送するのですが、この時の添削に添えられた指導者からの励ましの言葉がなんとも言えず自分には心地よく、1年もの間続けることができたと思います。しかし諸事情により、その後は書道との接点はありませんでした。
 それが、6年前に東住吉区医師会に書道同好会が発足したのです。専門家に指導してもらえる機会がついにやってきたかという当時の高揚感は今でも忘れられません。早速入会し昔使っていた習字道具を引っ張り出してきて、筆を新調して月2回の例会に参加するようになりました。先生は、言葉は優しいですが視線の鋭い魅力的な女性で、いつも丁寧なご指導をいただいています。最近は毎月行けないこともありますが、時間があれば先生にお手本をいただいて、自宅でも書道を楽しんでいます。昨年は書道同好会で東住吉区役所のギャラリーを借りて作品展を開催しました。
 最近は、心を落ち着けたいときは無論ですが、突然書欲に襲われたときにはたとえ短時間でも書道に没頭して無我を求めることがあります。
 何かとストレスの絶えないこの世の中ですが、今年も心を落ち着けて、目標を掲げて頑張りたいと思いますので何卒よろしくお願い申し上げます。

サマーアドベンチャー in ザンジバル島
都島区医師会長 遠山 祐司

 働き方改革とは関係なく、毎年夏のお盆休みは比較的長く休んで、元気なうちに、と海外へ妻と2人で旅行することにしている。
 元々夏は好きで暑さは苦にならないので、休みになると大抵どこかの島のビーチでのんびり過ごすことが多いのだが、ある日ネットサーフィンをしていて、とあるウェブサイトで衝撃的な写真を見つけた。それは、にっこり並んで座っている欧米人カップルの写真なのだが、そのすぐ隣にはチーターが一頭、まるで家族のように、あるいは飼い犬のように佇んでいるのである。また別のショットでは、あの時速100㌔で走って獲物を捕獲するチーターの背中を撫でながら微笑む別のカップルの写真もあった。しかもそのチーターがとても綺麗な斑紋で(ヒョウ柄ならぬチーター柄〈笑〉)、元来は猛獣で恐ろしくて近寄れないはずだが、怖さは感じられず、むしろとても可愛く感じられたのである。これは行かねば、そしてチーターの背中を撫で撫でしてあげねば、というわけで令和元年の夏に訪れたのが、その写真が撮影された島、ザンジバル島であった。
 という話をしても、ほとんどの先生方は「どこそれ?」と思われるばかりで、ご存じの方はあまりおられないのでは? 私も「ザンジバル? 機動戦士ガンダムにそんな名前が出てきたなぁ」ぐらいで全く未知の島であった。詳しくは割愛するが、調べてみるとザンジバル島は数奇な歴史を辿った島で、大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソディ」のクイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの生誕地でもあり、今や欧米人に人気のリゾートアイランドであった。東アフリカに位置するタンザニア連合共和国の旧首都ダルエスサラームから北東へセスナ機で20分、インド洋に浮かぶ沖縄本島ぐらいの大きさの島で、そこに様々な状況から助け出された野生動物を保護し育てている施設がある。
 何カ月も前から予約し、当日は昼過ぎに滞在先のストーン・タウン(ユネスコの世界遺産)のホテルへ迎えのワゴン車がやって来た。道中少しばかりの悪路を経て到着、40分間程のレクチャーを受けたあと入場となった。シマウマに始まってイエローモンキー、ワオキツネザル、陸亀、ハイエナ、ライオンなどに餌やりをし、日の暮れる頃になってようやく念願のチーターと触れ合える場面となった。「頭と尻尾は触らないこと」「アイコンタクトをしないこと」など注意事項の説明があり、後は自己責任で、ということで檻の中へ。飼育員に連れてこられたチーターはとてもしなやかに歩き綺麗な毛並みで斑紋も美しく顔も小ちゃくて実に〝クール”であった。
 そして、いよいよ記念撮影。尻尾を踏まないように気を付けながら、座ったチーターの隣へ。背中を撫でながら視線を合わせないように一緒にカメラの方へ微笑んで……。
 もう感動のひと時であった。
 その後、生後9カ月のホワイトライオンやタイガーとも触れ合え、興奮の収まらないまま帰途に着いたのである。本当に感動の瞬間、瞬間を過ごした1日であった。かくして単なるトリップではなくアドベンチャーを体験した忘れられない夏休みであった。

南天の実
豊中市医師会長 地嵜 剛史

 庭の片隅に南天の実がたわわに実っている。鳥が種を運んできたのか、一人生えである。日当たりも悪く、土も肥えていない裏庭であるが、何か気に入ったところがあったのだろう、数年で2階に届く背丈となった。猫の額ほどの裏庭には不釣り合いな大きさになったので、ずっしりと重い実を付けた枝をノコギリで短く切っていった。たちまちゴミ袋は赤い実で一杯になった。袋の中の実は、芽を出す機会もなくゴミとして焼却されるのだろう。いささか不憫である。一房取り出して、一粒ずつ蒔いてみた。ひとつぐらい芽を出すかもしれないと思いながら水をかけた。
 日本では今、貧困家庭が増えているそうだ。もちろん、生きていくための食糧を得られないような絶対的貧困ではなく、所得が低く生活に余裕のない相対的貧困である。そして、この貧困は世代間連鎖が言われている。貧困家庭の子どもは十分な教育を受けられず、就業機会に恵まれないため貧困に陥る。この連鎖を断ち切るためには、すべての子ども達に教育の機会を均等に与えることである。幸い、来年度から高等教育の就学支援制度が始まる。住民税非課税世帯には、大学や専門学校などの授業料、入学金の免除、減額に加え、返還不要の給付型の奨学金も支給される。また、高等学校等就学支援金制度もある。しかし、勉強する子ども達の周囲の環境を考えると、教育の機会均等が十分保証されているとは言いがたい。子ども達は、未来の大人である。将来の日本である。すべての子ども達が同じスタートラインに立って未来へ進める、子ども達の可能性の芽を摘むことのない社会でありたい。
 南天の木は剪定され、裏庭は少し広くなったようだ。赤い実が散らばる緑の苔の上を、木枯らしが吹き抜けていく。鉛色の空から薄日がさし、水にぬれた苔が輝いている。
 今年が、皆様にとって、子ども達にとって、日本にとって明るい年でありますように。

原爆に耐えたビル
枚岡医師会長 五島 淳

 昭和2年生まれの私の母親の実家は、大阪船場の呉服問屋であった。店主は代々中谷伊助を名乗っていた。何十年も前にテレビでやっていた「番頭はんと丁稚どん」の世界そのままで、末娘として生まれた母は「こいさん」として蝶よ花よと育てられたらしい。今から考えると、きれいな大阪弁である船場言葉を話していた。小さい頃にあまり怒られた記憶はないが、言葉だけよく注意されたことを覚えている。私の祖父である伊助さんは、なかなかやり手だったらしく、昭和4年に軍需景気に沸く、当時広島の一番の繁華街であった中島本町(現在は平和記念公園内)に、有名な建築家であった増田清氏に設計を依頼し、モダンな地上3階地下1階建ての大正屋呉服店を建てた。トイレは既に水洗であった。建物は外見が素晴らしいだけではなく非常に堅固で、爆心地から170㍍しか離れていなかったにもかかわらず倒壊を免れ、戦後は少し改修して広島市の平和記念公園レストハウス(観光案内所兼休憩所)として現在も使われている。川を挟んで原爆ドームがあるが全壊していて現在は廃墟になっているのと対照的である。
 5年前に母が亡くなったあと、レストハウスを訪れた。建物の地下は、原爆で被害を受けた当時のままになっており、ヘルメットと懐中電灯を貸してくれて真っ暗な地下室を勝手に見学できた。原爆により建物にいた全員が死亡したのではなく、驚くなかれ、当時たまたま地下室にいたひとりが奇跡的に助かり、戦後も40年近く生存されたらしい。帰りに当時呉服店に勤めていた番頭さんの孫がやっている呉服屋さんを尋ねて、大正屋呉服店のロゴの入った半纏を見せてもらった。
 昨年の春、広島平和記念資料館から連絡があり、建物の竣工90周年を記念して資料展をするので写真等をくださいとのことであった。この建物は誰が建てたのかということすら、原爆で関係者もろとも亡くなっていて分からなかったらしい。母のいい供養になった。

2019年ラグビーワールドカップで思うこと
大東・四條畷医師会長 浅田 高広

 新年明けましておめでとうございます。
 昨年も多数のスポーツイベントがありましたが最も我々を熱狂と興奮の渦に巻き込んだのは何といってもラグビーワールドカップ日本大会でしょう。ラグビーの場合、ルールが少し複雑なところがありますが日本代表の活躍もあり、にわかラグビーファンも含めて日本のあちらこちらで大変盛り上がりました。特に大阪は、東大阪市の花園ラグビー場が高校ラグビーの聖地となっていることもあり、ラグビーが盛んな土地柄で、目の肥えたラグビーファンが多く、今回は日本代表の試合は花園ではありませんでしたが他国同士の対戦にも熱い声援を送っていたようです。
 私は以前からラグビー観戦が好きで、高校ラグビー大会の決勝に大阪代表(ちなみに大阪の地区代表はラグビー人口が多いことからの2校プラス花園ラグビー場で行うことからの地元枠1校の全国で唯一の3校となっています)が勝ち残ると正月の楽しみが増えてワクワクします。また大学ラグビーの準決勝も、これは東京での試合ですが正月に行われ、関西の大学(昔は同志社大学が強くて平尾誠二、大八木淳史選手などがいたころは3連覇を成し遂げました)が準決勝に出ているとこれもまたワクワクもので、NHKが実況生放送をしてくれている時間はテレビにかじりついて応援しています(最近はなかなか準決勝、決勝に進むことができずに悔しい思いをしていますが……)。一方、関西の高校で活躍した選手は残念ながら東京の大学に進学することも多いので、関西に残ってくれた選手の活躍を私としては祈っています。
 これだけ多くの人に感動、興奮を与えたラグビーワールドカップですが、今後これをきっかけに関係各団体の皆さんが日本代表のスローガンである「ワンチーム」を合言葉にラグビーをメジャースポーツとして発展させていかれることを願っています。

令和の次世代へ
浪速区医師会長 澤井 貞子

 新年明けましておめでとうございます。令和も2年目、いよいよ新しい時代に入った気分がします。この令和時代では、ICTやAIが加速度的に進むでしょうし、30年後の医院・病院・医療がどうなっているのか想像もつきません。でもやはり医師は目の前にいる患者さんに触れて診察していてほしいものです。となると、30年後も在宅患者のベッドサイドへ医師が出向いて行かねばなりません。
 現在、浪速区では、ICTを活用した多職種連携システム「Aケアカード」を実施しています。これは、患者さんから同意を得て、患者さんの内科主治医から各科かかりつけ医、歯科、薬局、訪問看護師、ケアマネジャー、訪問介護士までが、その患者さんの薬剤・血液データ、医療・介護情報をクラウドで共有し、チャットで連絡を取り合い患者さんを支えていく多職種ネットワークシステムです。当会の久保田泰弘副会長の発案から始まり、開始3年。登録患者は800人以上、参加機関は医療から介護まで区内106機関となりました。Aケアカードは、まさに「ICTと多職種連携」そのものであり、今後の在宅医療の理想的な基盤と思われます。多職種連携によるチャットメールが日に何通も自動配信されてきて、患者さんの在宅の様子も垣間見ることができます。ただ患者データを見るにも入力するのも当然自分でパソコンを開けVPNにつなぎパスワードでシステムに入らねばなりません。セキュリティ上、仕方がないですが、その手間が面倒だと思う人もいます。もちろんこういう情報がなくても診療はできますが、もっと楽にもっと便利に利用できるよう、システムの更なる改善が必要と思います。
 生まれた時からスマホを見ている世代が世の中を動かす頃、ICTは社会にいきわたっているでしょうが、それまでにはまだ時間があります。過渡期の今、最前線にいる我々の年代が試行錯誤しながらも進めていかねばならないと、新しい年の初めに気持ちを新たにしています。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

地球温暖化は防げないのか
生野区医師会長 谷本 吉造

 新年明けましておめでとうございます。
 令和元年9月23日、ニューヨークで行われた国連気候行動サミットでの、スウェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリさんの涙の訴えが、今も目に焼き付いている。「人々は困窮し、死に瀕し、生態系は壊れる。私達は絶滅を前にしている。なのに、あなた達はお金と永続的経済成長という『おとぎ話』を語っている。よくもそんなことが!」目に涙を浮かべ、怒りで小さな体を震わせる少女の叫びがあった。
 訪米には、温室効果ガスを出さないヨットで2週間かけて大西洋を横断したという。地球の気温は上昇を続けている。グレタさんが求めるのは気候変動対策の国際枠組み「パリ協定」が掲げる温室効果ガス削減目標を達成するため、世界中の国が根本的な政策転換を進めるべきであるということである。背景には、地球温暖化の影響が見過ごせないレベルまで悪化していることがある。グレタさんも、北欧が記録的な熱波に襲われたことがきっかけだった。
 気候変動と地球温暖化は人間によって引き起こされていることは疑いようがないと思う。二酸化炭素が最も地球温暖化に影響を及ぼす温室効果ガスではないという懐疑的な意見もあるが、最近の度重なる台風を見ていると海水温の上昇によるものと思わざるを得ない。台風19号は甚大で、記録的、深刻な被害をもたらした。地球温暖化が進めば19号を上回る強大な台風が今後複数回日本に上陸する危険性が指摘されている。台風だけでなく前線に伴う豪雨が大変な被害をもたらしている。
 堤防などのハード面には限界がある。各国が掲げる温室効果ガスの削減目標を積み重ねても到底及ばないかもしれないが、全世界が一丸となって真剣に温暖化対策に取り組むべきではないだろうか。健やかな地球を子孫に引き継ぐことに異を唱える人はいないだろう。破局を見ずに済む大人世代とは比べものにならないほどの危機感が、今の若者達にはある。大人には、グレタさんのような若者の申し立てに応える責任があるのではないだろうか。

趣味は人をあらわす
堺市医師会長 西川 正治

 明けましておめでとうございます。
 さて、皆様はどのような趣味をお持ちでしょうか。俳句、茶道、華道、書道などのいわゆる高尚な趣味でしょうか。体を動かす体育会系のスポーツでしょうか。いずれにしても、ずっと同じ趣味を続けておられる方もいれば、多趣味でどんどん興味が移り変わる方もおられることでしょう。最近強く感じることは、趣味は人をあらわすのではないかということです。自分のことを考えますと、私の趣味が自分の隠れた、いや隠れていない性格をあらわしているのではないか、と思います。
 医療界の要職におられて友人でもある精神科医に、私は「人格障害」兼「発達障害」であると酒の席で言われました。冗談かと思っておりましたが、よく考えますと、まさに当たっています。私は整形外科医であり、外傷学では傷ついた人体をいかにして合理的に治療するかが問われます。一方、私の趣味のひとつである空手は武道であり、いかに人体を効率よく破壊するかを研鑽しています。確かに矛盾しています。しかし、私の中では問題なく併存しています。まさに「人格障害」です。
 古流の空手は人体の内部感覚だけで先達達によって研ぎ澄まされ、連綿と続いてきました。単なる筋肉の出力であるパワーでなく、連係動作による筋肉の出力を上乗せしていくフォースを覚えると、体格差が縮まります。動作分析の機械やハイスピードカメラのない時代でこのような芸当ができたのは驚くべきことです。このように、私が空手のことを言うときには嬉々とします。そのため、他の医師は違和感を抱くようです。
 「発達障害」については、私がコレクターであるからのようです。妻からはガラクタに見えるものを購入して集めています。小児が河原の小石などを集めるのと同様でしょうか。恐ろしいことに、妻は隙あらば捨てようと考えているようです。
 さて、皆様はご自身の趣味をどのように捉えておられますか。

人生100歳時代を考える
高石市医師会長 矢田 克嗣

 明けましておめでとうございます。本年も皆様にとって良い年でありますよう心からお祈り申し上げます。
 私もいわゆる定年の年になりました。腰が痛い、膝が痛いということも多くなり、年を重ねたと思います。江戸時代には平均寿命が60歳であったことから考えると、老後を楽しむことも最近はいいかと思います。しかしもし100歳まで長生きしたらどうしましょう。そうです、患者さんではなく自分の100歳時代を考えなければならない歳になってしまいました。
 我々が100歳になる頃はどうでしょう、少子高齢化のため介護をするのはロボット……ということもあるかもしれません。自分の足で歩いて、自分の身の回りのことは自分でする。それには今から日々身体、特に足を鍛えなければと考えております。
 私は毎朝、ストレッチと腹筋、背筋、腕立て伏せで上半身を鍛えています。しかし脚力は? できるだけ階段を上るようにしていますが、まだまだです。マラソン、プール、ジムに通っている先生方も多数おられることを考えると、ゴルフでももっと歩くようにと反省しています。
 また厚生労働省は保険医定年制とか医師免許更新制を導入し、医師をコントロールしようとしていると聞きます。皆さんはどう思われますか?
 今年の目標として脚力を鍛えて来るべき100歳時代に生き残れるよう頑張ります。諸先生方も身体を鍛えて患者さんのための診療を1日でも長く続けていただくとともに、100歳時代に適応できるよう、頑張りましょう。
 皆様がますます健康でいつまでも診療ができることをお祈りして新年のごあいさつとさせていただきます。