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医師・医療関係者のみなさまへ

本日休診

居場所の喪失

府医ニュース

2019年1月30日 第2881号

 「不登校です。心療内科には行ったのですが……」。昨年5月、少年の母親が言った。『学校行きたくなければ行かなかったらいいやん』。私は無表情な彼に同情的に言った。私自身も大人達への反発から一時期不登校児となったことがあるからだ。「先生もそんなこと言うんですか。もう結構です」。ヒステリックに母親は言い放ち帰って行った。
 それからである。週に2日、朝、待合室の畳で私立中学1年の彼が寝そべるようになったのは。診察室に通しても「学校に行きたくない」としか言わない。以降、診察するか? と聞いても、畳でいいと言う。『お母さんに報告してね』と彼に伝え、好きにさせた。当院の従業員も「今日は学校に行くの?」「ゴロゴロしないで勉強しなさい」など声をかけるようになった。夏には、おにぎりとお茶を持参して、待合室の患者を眺める余裕が出てきた。当院の患者達も、彼が近所の子どもだと分かると「ダラダラするんだったら診療所の前を掃き」と落ち葉の掃除を促した。 
 昨春、この少年は他県から母の実家に転居してきた。引っ越し後のいじめを気にした母親が私立中学を受験させた。父は地方に出向。母も就労しており不在がちで、家には祖母がいた。その祖母と少年の折り合いが非常に悪かった。また、新天地の学校では、独特の「大阪のノリ」についていけないことも彼から聞いた。母親には来院時に連絡をしたが、当方の連絡を迷惑そうに受け取った。冬になり、月に2度程と彼の来院頻度が減ってきた。運動部に入り学校で友達ができたようだ。
 このエピソードに賛否あるだろうが、私はこれでよかったと思っている。この子には、たまたま当院を居場所と選んだ、ある意味強さがあった。彼を保護する公的機関があるのは知っている。彼が帰宅時に事故に巻き込まれたらどうするんだという意見もあるだろう。しかし、精神的な居場所のない子どもを受け入れるだけの余裕が、家族やこの地域から消えてしまっていることが問題ではないか。この状態を指し、(市場原理主義を)「悪魔の挽臼」であるとポランニーは言ったのだ。子どものみならず、あらゆる世代で居場所は減っていると私は思う。あらゆる中間共同体の喪失とともに。(真)