
TO DOCTOR
医師・医療関係者のみなさまへ
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勤務医の窓
府医ニュース
2015年11月18日 第2766号
2年前までマンションの15階に住んでいた。東側の窓からの見晴らしは良く、ビルの向こう側に生駒山系の山並みが映えていた。大阪赤十字病院を初めて訪れた時、すぐ西側に見覚えのあるタワーマンションを発見。それがいつもの窓から見えている最も高く目立つビルであることに気が付いた。以後窓から景色を眺める際にそのビルは大阪赤十字病院の目印となる。
ある時リビングからふと東側の窓を眺めて驚いた。例の目印のビルがいつもの3倍くらいの大きさに見えるのである。すぐに窓の近くから普段通り眺めると、いつもの大きさである。そこからリビングまでビルを見ながら後ずさりすると、だんだんと拡大されるのである。窓から離れることで、ビルがちょうど四角い窓枠に囲まれることになり実際より大きく見える、人間の視覚に固有の錯覚であった。
このように人間の視覚はいい加減なものである。呼吸器内科医を30年以上していると、無数の胸部レントゲン写真を眺めることになる。そのため運転中に右折をつい左折と言ってしまい、女房からぼけたと呆れられる始末となる。胸部写真では右側が左肺であるからである。そこまで習熟していても日常臨床ではとんでもない見逃しをすることがある。
10年ほど前に結核治療後の経過観察をしていた患者が気胸で緊急入院となった。ちょうど2日前に外来で写真を撮っていたので確認すると、驚くと同時に冷汗三斗となった。右側に立派な気胸があるではないか。カルテには変化なしと記載されている。胸部レントゲンは「見て」いたが、「観て」いなかったのである。人間は見たいものしか見ない。この例では結核は左側だったので、全体を見たつもりで左の結核の痕だけ見ていたのだ。このように胸部レントゲンに限らず画像所見はただ「見る」のではなく意図的に「観る」必要がある。
「見の眼と観の眼」の違いは、宮本武蔵の「五輪書」にも記載されており、剣の道では「観の眼」の修業が最も大切であるとされる。観るとは心の眼で見ることである。昔の弓の名人は全く光のない暗闇でも、百発百中、的の真ん中を射抜くことができたという。心の眼で観ているからである。ここまでは無理でも、せめて胸部レントゲン写真の気胸を見逃さないくらいの観る訓練を普段から続けたいものである。
国立病院機構近畿中央胸部疾患センター
統括診療部長 鈴木 克洋 ――1270